「よーし奈々!綱吉!今日は長野でとことん遊んで遊んであそびまくるぞー!」
「おー!」
「おー。」
「うん?どうした綱吉元気がないな?」
「………。」
三月二十一日。春分の日。
沢田家の大黒柱である沢田家光は超多忙な仕事のあいまを縫いつつようやく三日まとめて得ることの出来た有給休暇を超絶愛している妻と息子のために使おうと日本へ帰ってきていた。
古びた青い軽自動車に三人ぶんのキャンプ用品と雑多なものを詰めまくって家族水入らずで楽しい休暇を過ごすプランだ。携帯とイタリアンマフィアの肩書きはしばらく家に置いておくと腹に決め、いざ車に乗り込んで助手席には妻の笑顔がかがやいているというのに何故か後部座席の息子は心にモヤのある表情を浮かべていた。
すべり出しがこんなことでは俺の沽券が許さない。
と思ったかは定かではないが、並盛町三丁目の商店街の角で丁度信号につかまったので家光はウザいぐらいの大声をいっそう張りあげて後ろを振り向きつつ息子に話しかけた。
「小学校はどうだ?楽しいか?」
家光の父、家綱はどちらかといえば家庭を顧みない体質の人だった。今ならその『親の都合』ってものを少し分かってやってもいいという気持ちを持つ余裕があるが、家光は自分の息子にそういう寂しい思い出を作らせたくなかったのでいかに仕事が忙しかろうが昨日まで滞在していたイタリアでウワバミのリボーンにとっつかまって酒をしこたま呑ませられようが這々の体でもこうして日本へ戻ってきた。
辛いときにこそ笑い飛ばせないでどうして家長が務まるか!という若干古い信念を信じて貫き通してきた家光はツナが通いはじめた小学校に話題を振った。顔立ちは妻譲りで自分に似たところといえば髪の毛の質感と色だけなのではないかと思ってしまうほどほんわかで大人しい雰囲気の我が息子はその声にいっそう萎縮した様子である。
「うん…たのしい。」
「そうかそうか!楽しいか!」
顔と口はハツラツしながらアクセルペダルを踏んでみても家光の心が目の前の青信号のように晴れ渡った訳ではない。控えめな息子の声色は家光の心臓をぎゅぎゅっと掴んで離さないが、自分の様子を隣で見ていた妻に心配しないでと口で諭される代わりににこりと頬笑まれるとボッコリ凹んだ父親の見栄をかなり繕うことができた。
「…………とーさん。聞いてもいい?」
「もちろんいいぞ。遠慮しちゃだめだぞ。」
「…うん。じゃあ言う。」
そこで息子はふと視線を落として手をもじもじさせながらぽつりと呟いた。
「おれん家って、びんぼうなの?」
その途端、並盛町六丁目の朝靄を切りさくような急ブレーキがこだました。
「ど…、どうしたんだ綱吉、急に言うからお父さん驚いちゃったぞ。誰かに言われたのか?」
「ううん。ちがう。…ごめん。」
空気が暗いものに成り代わる一歩手前で沢田家きってのムードメーカーである奈々が助け船を出した。
「小学校のお友達のね。すすむ君の家でね。ツッくんびっくりしちゃったのよね?」
「うん。びっくりした。かっこよかった。」
「何がだ?」
「すすむくん家のあっとんまっちん。」
「………。」
話は昨日に遡る。
* * *
「──綱吉君、いいもの見せたげる!見たい?見たい?」
小学校の同じクラスに在籍している学年で一番のお金持ちだと公言している赤坂進くんの家の誕生日パーティーにお呼ばれして奈々と向かった昨日のことであった。人当たりの柔らかい奈々が奥様方の会話に花を咲かせているあいだ、暇になってしまったツナはぼーっとしていたのだが、そこをすすむくんに見つけられて、誘われたのだ。
「いいもの?」
「うん。格好いいよ!見たい?見たいよね!」
「う、うん。見たいな」
「じゃあ行こっ!」
半ば強引に引っぱられるように向かった先は地下半階にあるドッヂボールができそうなほど広い車庫だ。進くんが照明をパチリとやると目の前いっぱいに沢山の車がぴっかぴかに磨き抜かれたボディーをこれでもかとキラキラ見せてきたのでツナは面食らってその場に硬直してしまった。
それを良い方に受けとった進くんはますます得意気になってツナの腕を引っぱり最奥に駐められた車の前に案内した。
「アストンマーチンのV8、ヴァンテージのスポーツシフトタイプだよ。オレがめんきょ取ったら親父がお祝いにくれるって言ったんだ〜いいでしょ〜!!」
「………」
ここ一週間で一番楽しみにしている事とといったら今夜の晩ご飯は自分の大好きな日曜朝の戦隊モノ《マフィア戦隊ボンゴレンジャー》のカレーライスにするという母親との指きりどまりのツナにしてみればあまりに次元の違う話である。
思ったような羨望の眼差しを向けられなかった側としては非常に面白くなかったので進くんはツナの肩をゆさぶって猛アピールした。
「ねえ!綱吉君聞いてんの!?」
「う、うん!聞いてるよ!あすとんまっちん!」
「アストンマーチン!」
「あっとんまっちん!」
「だーかーらーアストンマー…もういいよ、それで!」
「うん!すすむくんすごいね!」
「でしょ!でしょ!綱吉君ならこの価値分かってくれると思ってたよ!」
進くんは小さな胸をしこたま反り返らせてご満悦の表情である。
「この中、見てもいい?」
「オレ車のキーは持ってないんだ。でも外からならいいよ。ちょっと待ってね」
と言われてしばらく待つと進くんは三段つきの作業用腰掛け椅子を持ってきた。
「ここに乗って、運転席のドアからなら見ても良いよ。でも指紋がついちゃうから窓とかには絶対触っちゃダメだぜ。」
「うん。わかった。ぜったいさわらない。ありがとうすすむくん」
すすむくんがじーっと監視するなかでよじ登ったツナはアストンマーチンのなかでも最上級のインテリアをそーっと覗いた。
「わぁ…!すごいねぇ!」
「でしょ!でしょー!!」
まるで赤と白とぎん色の光の洪水のようなすばらしい眺めだった。シートはクレヨンよりも綺麗でしっとりした赤色で余すところ無く染め抜かれていて、ハンドルにも同じ革の色があつらえられているところが特にツナの目を引いた。運転席と助手席の間には何やら難しそうなボタンが沢山あって、まるでボンゴレンジャーハイパー合体ロボ《デーチモ》のコクピットのようである。
「すすむくん。あれなーに?」
「どんなの?」
「えーとね…はんどるの右にあって、まっくろで四角いの。」
そこで進くんはよくぞ聞いてくれましたという気色を顔いっぱいに浮かべながら言った。
「カーナビだよ!綱吉君知らないの〜?」
「うん。しらない。」
「遅れてる〜。でも綱吉君だからしょうがないけどね。」
さすがのツナもその言われようには少し胸がちくりとしたが、好奇心が勝ったのですすむくんを責めることはしなかった。
「何に使うの?」
「あの中には日本中の地図が入っててね。行きたいところまで声で案内してくれるんだよ。『次、三百メートル先を左方向です』とか女の人が喋るんだよ〜」
この時期はまだカーナビが出始めの頃であり誘導音声は1種類のみだったので、新し物好きな赤坂進君の家のアストンマーチンにも勿論女性のアナウンスが装備されている訳である。
「わぁ!今のくるまってすごいんだねぇ〜!」
「ふっふ〜ん!いいでしょー!」
「いいなぁ〜かっこいいな〜!」
「綱吉君もお父さんにカーナビ買って貰ったらいーんじゃない?オレとお揃いでさ!」
そこまで一緒にする理由も義理も皆無だがいかんせんこの年頃のちみっ子はお揃いが大好きなのだ。ツナは勢いに駆られておおきく頷くがそこでハッとあることに気づいた。
(おれん家の車…ぼろぼろなのにかーなびなんて買うお金あるのかな…)
その不安はすすむくんに言えるものでは無かったので、ツナはぐっと黙って耐える。
しだいに宴もたけなわになり、赤坂家のご家族と夕日に見送られてにこにこ顔で家路に着く奈々と手をつなぎながらツナはちょっとだけほろ苦い帰り道を味わったのだった。
* * *
「…………。」
息子の独白を聞いて家光は絶句した。
一般常識の枠にとらわれないものすごい歴史がある沢田家の面子のためにも言っておくと、沢田さんの家はむしろ金持ちだった。
自分が組織の中で働いたことにより発生した金は決してドス黒い金ではないが、かといってお天道様に顔向けできる勤労をした結果の純白の金かと問われれば若干そうとも言いきれない部分があるので家光はとりあえず趣味で始めた副業の採掘業で得た収入のみを使っているのである。
マフィアの世界に足を踏み入れた時から本業で得た金は一銭残らずスイス銀行に積み立て続けている。ここ十数年残高照会をしていないが恐らく億単位で貯まっているだろう。頑張らなくてもアストンマーチンだってハマーだってランボルギーニだってベンツだってロールスロイスのファントムだって買えてしまうどでかい額である。
それは家光だけが知っていることだがそれを妻と息子に打ち明けるつもりははなかった。金では買えないものがあると知っているからだ。
「この青いくるまだってボロボロってとーさんよく言ってるけど、いつまでたっても新しいのにしないし…」
替えようと思えば替えられるのだが、実はこの車は外車でイタリアからわざわざ運んできた相棒なのだ。奈々との初デートの思い出とか、この車を運転する傍らで自分に息子ができたことを友のリボーンに報告して心から祝福されたこととか、銃弾で瀕死の重傷を負った仲間を出血多量にも関わらず後部座席に横たわらせて必死に励ましすんでのところで持ち直させた思い出とか、黒いマフィアのヒットマンに狙撃されてあと一センチずれていたら死んでいたという局面をこの車に助けて貰ったりと男の勲章のようなものがびっしり刻み込んである相棒なのだ。いくら可愛い息子のお願いでもおいそれと手放すことはできなかった。
「すすむくんの家のくるまね。すごくかっこよかったよ。あすとんまっちんっていうののぶいえいとなんとかっていう車なんだって。かーなびもすごかったよ!」
そこでツナは感動のあまり助手席のドアにぺたりと両手をついてしまい、すすむくんにつきとばされて椅子からころげて尻餅をついてしまったことを思い出したので、家光にばれないように後ろに手をやるとこっそりおしりをさすった。もう痛くはなかったが、なぜかそこがモゾモゾしたのだ。
「…………」
家光が真剣な顔で黙り込んでしまったのを見かねた奈々はたしなめるように息子に言った。
「ツッくん。お父さんはね、この車が大好きなの。すごく大切な友達なの。だからツッくんもこの車を大好きでいてくれてほしいなって思っているの。」
「やだ!おれ、こんなぼろぼろのくるまなんていらない!かーなびがついてるくるまの方がいーもん!!」
息子の言葉は時として鋭利なナイフのようである。一瞬でメッタ刺しの刑に遭い、眩しいわけでもないのにフロントガラスの日除けを下げた家光の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ツッくん。ダメよ、わがまま言ったら。お父さん困っちゃうでしょ?」
押してダメなら引いてみろという格言を小学生低学年で多少学の足りない感じのあるツナが知る由もないが、ツナは次にこんなことを言った。
「…じゃあおれ、次からあいす食べるのがまんする。とーさんがいいよって言うまでがまんする。…それでかーなび買える?」
「……っ!」
あくびをするフリをして口元を覆う家光の一枚岩のような意思は大きくグラついたが、ハンドルを放り出して息子を抱きしめる暴挙に及ぶのはすんでのところで踏みとどまった。
車の進み具合は道路が空いていたこともあって並盛町のはずれまで来ている。あともう少しで並盛インターチェンジに着く。そこからは高速である。
家光は非常に参ってしまった。こんなに辛い板挟みに遭ったことはないぞと確信できるほど頭を捻らせて打開案を模索してみるが、なかなか黒いソフト帽が似合う友のように上手く立ち回れる自信も脳みそも無いのでほとほと弱った。
その時である。
チッカ。チッカ。チッカ。チッカ。
「…とーさん…それって…」
「ん?」
「もしかして…それって!?」
「へ?」
引っ込み思案な息子が後部座席から身をのりだしてまでキラキラ顔を輝かせているのを視界に入れて狐につままれたような感覚を覚えつつ家光は息子が指差しているその先を見た。
チッカ。チッカ。チッカ。チッカ。
メーターパネルとメーターパネルの間で蛍光緑色の矢印が点滅していた。その矢印の向きは左だ。家光は左にハンドルをきる。前輪が左側に傾き、車体は左折を開始する。
「…………!」
車を運転したことのある人間ならば知っていて当然であるが、そこで家光は博打に出た。
「…ふっ。ふっ。ふっ。遂にバレたか!」
まるで悪者のような笑いを含ませて家光は大見得を切った。
それなりの大発表をする前なのだ。演出は大事なのである。
「じゃあこれって…!もしかして…!!」
わくわくしながら息子が羨望の眼差しを向けている。あの今ひとつ自分に自信が持てない弱気な息子が!これは失敗するわけにはいかないぞと自分をますます奮い立たせて家光は有ること無いこと平等に自信満々に言い切った。
「これはな、綱吉。──カーナビだッ!!!」
「やっぱり!!」
実際のところは方向指示器(ウィンカー)である。
だがそうとは知らない息子は出任せ親父の言うことをまるっきり信じた。
「やっぱり!ねぇかーさんすごいよ!とーさんの車すすむくん家のずっと前からかーなびがついてたよ!!」
「はっははは!すごいだろう綱吉!こいつはな!すすむくんの家よりもずっと優秀なカーナビなんだぞ!こんなに小さいのに曲がる前でチッカチッカ音がしてちゃんと右です左ですって教えてくれるんだからな!」
「そうだよね!だってすすむくん家のかーなびってすごく大きかったもん!小さい方がすごいよね!とーさんすごい!このくるまもすごいんだね!!」
「すごいか!すごいだろう!がっはっはっは!!」
「このくるまもおれ、大好き!」
「がっはっはっは!!」
それからの三日間は家光にとって、ひいては沢田家にとって大変素晴らしい心の休息になった。
キャンプで家光はサバイバルの教訓を生かして過分に頼りがいを発揮し、息子も奈々もそれを羨望の眼差しで見つめるので家族間の温度は春風が舞うが如く上昇気流に乗り続けた。望外の家族の絆を大きく育むことができたのである。
だが問題はここからだった。
最初の可愛いウソがあまりに格好良く出来過ぎたので家光はそれに高じて何かにつけて過大なウソをつくようになってしまったのである。
無垢な心から初めはすごいすごいと言ってくれていた息子が進くんに憐れみのまなざしを向けられ、それを皮切りにどんどん世間を知るようになってきて、自分と同じ時間に夕飯を食べることすら居づらさを感じているらしいことにようやく気づいた時にはもう手遅れだった。
家族の絆を修復しようにも家光が忙しさから大きく家を留守にするようになってからはエンジンに心の火を入れてやれる人間が居なくなり奈々は運転ができないので思い出積載の車は錆びついてしまい泣く泣く廃車。家光当人は愛息子からすげなくバカ親父の烙印を捺される羽目になるのだった。
自業自得といえば、自業自得ではあるが。
* * *
「…あーヤなこと思い出しちゃった…──っ、痛ッてー!!」
運転免許を取った十八歳の夏である。
ツナは所用があって近くのレンタカー屋で軽自動車をレンタルし、リボーン指示の元とある場所に向かい、用を済ませて帰宅している最中だった。
並盛インターチェンジまであと三百メートルというところで高速から降りるためにをウインカーを出そうと思ったところでフと昔のことが思い出されて、ぼーっとしてしまった。そこを横のリボーンにどつかれる。
「いきなり殴るなよ!危ないだろ!」
「白昼夢見てんじゃねーよダメツナ。」
「わかってるよ…降ります!降りるからフツーに座っててよ!」
ペーパードライバーのツナはハンドルをしっかり握りしめながら前の光景に集中した。
「…でもさぁ、俺の親父ってけっこう酷いよね。何にも知らない子供にウソつきまくってたんだぜ」
心を読まれることが多々あるためか、ツナはリボーンへの説明を一から十まで割愛して溜息をつきながら呟いた。お互い慣れているのでリボーンもそこへ苦言を呈しはしない。
「まーな。俺はガキ持ったことねーからわからねーが、だが親はそういうもんだと思うぞ」
「…何それ。そんなもんなの?」
「てめーも大概想像力のねえ奴だな」
「…そんなこと言われたって…」
「昔の家光を今のお前に、昔のお前を京子に置き換えて想像してみろ」
「京子ちゃんに?」
言われるまま想像してみる。ツナは顔をしかめた。
「その状況でお前、その期待と笑顔ぶちこわせるか?」
「………………。」
黙ってしまった運転手を見て、リボーンは帽子をくるりと回転させてなんでもないことのようにそっけなく言った。
「あいつは昔っからやり方が下手だからな。だがな、それを分かってやるのが息子の優しさってモンなんだぞ、ツナ。」
「……………そんなの…」
フロントガラスの先を見つめながらツナは言った。次の言葉は語彙力が足らず上手く言えない子供がむくれた時のような怒気が含まれていた。
「そんなの、お前に言われなくたって分かってるよ。だから親父が俺に罪悪感感じてるのが嫌なんじゃん。」
「──そうか。」
リボーンは笑ってソフト帽を目深にかぶりながら両手を頭の後ろに置くとツナへ矢次に指示を出す。
「ツナ、スーパー寄れ。並盛商店街の。」
「は?」
リボーンは有無を言わせないいつもの口調でつづける。
「今日の夕食はカレーにするぞ。たまにはジャンクなレトルトも悪くねぇ。買って帰るぞ。」
「…なんだよそれ。……まあいいけどさ。俺、甘口ね。」
それからボンゴレンジャーのレトルトを一ダースも大人買いしたツナとリボーンは帰途についた。
久しぶりのレトルトカレーはそこんじょそこらの味とは思えないほど格別だった。