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「そこまで編んだら右手の親指と中指で持って次の目から七目を別糸で編むんだぞ」
「えと…こうかしら?」
「うまいぞ、さすがママンだ。おわりに糸端を十五センチくらい残して別糸を切るんだ。
その後でいったん編んだ別糸の目を左針に全部戻すんだぞ」

「…………なにやってんの?」


寒さの厳しい一月のなかば、編み物講習会場と化した居間を前にしてツナは固まった。
廊下前のふすまを開けたとたん目に飛びこんできたのは母親と家庭教師が生徒の息子をそっちのけにしてマンツーマンで編み物をしている光景である。
いつもなら口にしない讃辞のことばをおしみなく使い丁寧に指導するリボーンの様子は、特別奈々には優しい殺し屋だからと分かっていても異様に見えて仕方がない。
奈々はピンクとクリーム色の毛糸玉、リボーンは黒と白色の毛糸玉をそれぞれ膝にのせて手に棒針を持ちながら編みものを見せ合うように座り、こたつの上には定規やかぎ針を二組ずつ用意していた。
「あ、ツッ君。あら?───やだもうこんな時間なの」
時計の針は午後三時を指していた。腹時計が鳴ったツナはなかなかお呼びの掛からない昼飯をもとめて一階へおりてきたのである。
「いま何かつくるからちょっと待ってね。リボーン君もずっと付きあわせちゃってごめんね」
時を忘れるほど熱中していた編み物から手を休め、キッチンへ向かおうと腰をあげたそれへ、ママンがやるこたねーぞ、と呼び止められてふしぎそうに彼へふりかえる。家庭教師と殺し屋を兼業する男はぶっそうに光らせた黒い瞳でツナを睨めつけていた。
「てめーが作れ。夜もだ」
「な…何で俺がやらなきゃなんないんだよ…料理なんて作れるわけないじゃないか」
「このまえレシピを書いてやったらできたじゃねーか。覚えたうちは頻繁に作らねーとすぐ忘れちまうんだぞ」
「あれはランチアさんが居てくれたからできたんだよ!てか説明書をイタリア語で書くなよ!読めないだろ!」
「ママンはイーピンにやるミトンを編んでて忙しーんだ」
「人のハナシ聞けよ!」
おされ気味のツナが非難の声をあげても家庭教師の突っ走りはとまらない。
「おいツナ、今夜は全教科抜き打ちテストするぞ。一問でも間違えやがったらタダじゃおかねーからな。覚悟しとけ」
「ちょ、ちょっとまてよ!なんで急にそんなことになるんだよ!」

「──オレがそういう気分だからだ」
すでに人生の三割方が彼との付き合いである。リボーンの言わんとすることが直感力を借りずとも伝わってきたので、ツナはがっくりと肩をおとした。
「…わかったよ。作ればいいんだろ…買いもの行ってくるからかーさん金ちょうだい」
息子の手料理とあって期待に胸をふくらませた奈々から紙幣を受け取り、押し切られた感をズルズルと引きずりながら近くのスーパーへ向かうのだった。



* * *



「………雲雀さんも買い物するんですね」
「なんだいその顔、僕が居たら悪いの?」
材料をある程度買いそろえ、レジを済ませて食品をレジ袋につめこんでいるとこれはどういう巡り合わせか、恐怖の先輩にばったり会ってしまった。今日は土曜日である。にも関わらず学ランを着ている彼の社会的立場はすでに了平とおなじく並盛大学生のはずなのだが、そのあたりの事情といきさつはおそろしくて訊くことができない。何せ少しでも気に入らないことがあるとTPOにかまわずトンファーを振るう雲雀は並盛町きっての危険人物である。
人は何かしら食べないと生きていけないのだから、端から見ればツナの発言は失礼かもしれない。だが会うたびに身に覚えのない言いがかりをつけられ、ボコられ続けて早五年が経つので一度も雲雀恭弥という人にボコられた経験のない幸せな並盛中高生よりは少なくとも雲雀恭弥という男を知っているつもりだった。
「旬だから何かつくろうと思って」
そう言って軽くマーケットの袋を持ち上げた。そこからちらちらと緑色の顔を見せたのは──ヨモギだった。

「ヨモギ団子おいしいですよね」
心の汗を流しながら出来るかぎり差し障りない笑顔を浮かべてそう言うと、雲雀は心底軽蔑した顔をしてツナを見た。
「…本っ当に君って馬鹿だよね。これは水菜。……君を見ていると咬み殺したくてウズウズしてくるよ」
補食発言を耳に入れるなり、家庭教師が感心しそうなくらいの反射神経でもってスーパーの自動扉に後じさった。その素速さに雲雀が感心したようにみじかい口笛をならす。
「ますます咬み殺したくなったよ。ねぇ、今日は赤ん坊と一緒じゃないのかい?」
獲物をさがすときの気配をまとったまま雲雀は言った。手間を嫌う彼がリボーンに対して事あるごとに執着心をみせてくるこれは今にはじまったことではないが、サバを読んでも《赤ん坊》に見えない彼をいまだに幼児とみなす雲雀の言い切り様はなかなか凄いものがあった。その彼は編み物をしていますなどとウッカリ喋ってこれ以上興味をひくと身に危険が及ぶことを悟ったため、いつバレてボコられるか分からない薄っぺらのくるしい弁明をはじめた。
「きょ…今日は一日中家に居ますよ。朝からずっと寝てるんです」
「ふぅん、カゼ?病気?」
「そういうわけでもないんですが…」
「なんだ、元気なんじゃない。それならここに呼んでよ」
「……は。え、あ、いやでもあいつ物ぐさだからちょっとやそっとのことじゃ動かないんですよ!」
「へぇ…なら君が命の危険に晒されれば赤ん坊は来るのかい?」
腕組みをしながら挑戦的な言葉しか口に出さない雲雀をどうにかいさめようと思うのだが、考えつくあらゆる言葉もまったく功を奏してくれないのでツナは泣きたくなった。

「行ってあげる。」

泣きっ面に蜂が襲来した。招いてもいないのに雲雀から自宅訪問発言があがる。
「………俺ん家にですか?」
「そう、君の家。行かないと赤ん坊に会えないんでしょ?」
ツナが言葉に窮していると雲雀がやや不機嫌そうに言葉をつづけた。
「文句あるなら今言いなよ。きいてあげるから」
聞く耳はあっても雲雀の辞書に《抑制》の二文字はない。イヤだとツナが言おうものならトンファーを繰り出してくるのはまず間違いないのだった。



* * *



家にもどり着いたころには日も落ちはじめ、夕飯の支度をする頃合いになっていた。うしろからついてくる雲雀恭弥という不可抗力がありながらもどうにか家に帰り着くと、ちょうちょ結びのリボンが巻かれたピンク色の包装紙がひとつ、リビングテーブルの上におかれている。母親の姿が見えないのでウロウロ部屋を探し回ると庭で洗濯物をとりこんでいた奈々と目が合った。
「まあ、ツッ君。お友達?」
「うん、高校の時の先輩で雲雀先輩。スーパーで会ったんだけどリボーンに用があるんだって…で、リボーンいる?」
「あら…ごめんなさいね。リボーン君ついさっき出かけちゃたの。夕ご飯にはもどるって言ってたけど───」
「丁度いいね。台所、借りるよ」
奈々が詫びの言葉を言いおわるのを待たず、何の脈絡もなしに雲雀が行動を開始した。沢田親子が唖然としているのもかまわず、スーパーで買ってきた水菜やらシラタキやらをまな板の上に置いたレジ袋から取り出している。
「へ?…雲雀さんが作るんですか?」
予想外の展開に対して耐性をもっている息子がいちはやく気を取り直し聞いてみると、一週間前から決まっていたことをまた尋ねられた時のようにやや苛ついた様子で雲雀は一瞥をかえした。
「鍋にするのさ、今日は寒いからね」
「鍋…ですか?」
「悪いの」
「滅相もないです!」
群れようとする人間を片端から叩きのめしてきた雲雀が群れるためにあるような料理を作るという。盛毒を勘ぐったツナだったが、わずかな逡巡ののち、それはないなと確信する。雲雀はまわりくどい毒殺よりも圧倒的に殴殺・撲殺のたぐいを好むからだ。しかし毒は盛られないと分かっても自分の家のキッチンに先輩の雲雀を立たせている手前、テレビを観たり漫画を読むわけにはいかなかったので、奈々にことわって調理を補佐するような位置に落ちついてみる。
「て、手伝います…えと…何の鍋つくりますか?あ、俺トリ肉なら買ってきたんですけど───」
とたん、雲雀の手がぴたりと止まり、彼がリボーンに向けるとき以上の興味津々の声がツナに向けられた。
「ワオ、僕の前で鳥鍋作るつもりなの君?……いいね。作ってみなよ」
「え?」
ふと雲雀の顔を見ると好敵手を見たような不敵な笑みを浮かべている。その少し上のほう、彼の頭をもぞもぞと徘徊するこぶし大もある綿毛の生きものが視界にはいると、自分の言ってしまったことに顔を青ざめさせた。あれから五年もの年月が経っているのに少しも姿を変えないファンシーで長生きなバーズの小鳥はいまや雲雀の愛鳥である。
大学と高校という隔たりを感じさせないほど、一方的に意思の疎通をはかることに長けるツナはそれこそ床に額をこすりつけんばかりに死ぬ気で雲雀へ謝罪したのあった。



* * *



雲雀が来たとあってイーピンは非常に喜んだ。
そこへ彼の手料理と、母親のように慕っている奈々からミトンのプレゼントがあり、十一月に済んだ誕生日をまた祝われているようです、と声をはずませる。普段以上にしとやかで控えめにしているのは愛しの雲雀恭弥がとなりに座って鍋をつつくそれに緊張しているからなのだと、家の住人誰が見てもよくわかる。そして、どういう心変わりがあってか、雲雀もイーピンの熱い視線にトンファーを向けることなく作法にあった所作でもくもくと夕餉を口へ運んでおり、ツナが一番危ぶんだコトは起こらずに済みそうだった。雲雀が作った鍋は何という名前なのか料理知識に乏しいツナの脳みそでは分からなかったが、スーパーでテキトーに買ってきた食材と沢田家の冷蔵庫にあるアリモノでよくもまぁこんなにおいしい料理が作れるものだと誰もが感心する出来映えであった。その鍋、見た目も美しいのだが、味にも《美しい》という形容詞をつかえばピッタリと思えるのだ。


食事も半ばにさしかかったころ、玄関のドアがかちゃりと開いてようやくリボーンが帰宅した。
「赤ん坊、待ってたよ。」
ツナの反対側の席で物騒な金属音がチャキ、と響く。お茶碗をもった奈々の目がトンファーの出現に釘付けになるとツナは大変慌てた。
「雲雀さんお願いですからここでトンファー振り回さないでください!」
「ちゃおッス、雲雀。なんだ、ママン。もうイーピンにミトンやったのか?」
殺し屋は殺し屋で我が道を突き進む。自分に関係あることにしか関心を持たない男をふたりかかえて今日はいったいの厄日だと後輩兼生徒は頭をかかえた。そこへ教師からお呼びがかかった。
「ツナ、受けとれ」
リボーンに手ずから寄こされたのは白色の包装紙をエメラルドグリーンのリボンで結わいた包みだった。それを興味津々に眺めるのは雲雀である。
「何だいそれ?」
「さ、さあ…」
開けてみてよ、とうながされるまま包みをひらく。中から顔をのぞかせたのは五本指の紳士用手袋である。昼にリボーンが使っていた毛糸玉と同色で、黒のなかにごく細い白のラインがスッと引かれている。
「すごいでしょう?私はイーピンちゃんのミトンを編むの一週間もかかったんだけど、リボーン君今日だけで手ぶくろひと組編んじゃったのよ」
殺し屋が編んだ手袋と聞くと、某スパイ映画のように絞殺用ワイヤーが仕込まれていたり、あるポーズをとると極小フックショットが飛び出たりする通常ではありえない付加機能がありそうだと勘ぐってしまうが、裏返してみても填めてみてもそれは粗い縫い目ひとつ見つからない完璧な手編みてぶくろであった。
「手ぶくろ…だよね?」
「嬉しさで頭が沸いたか?十八になってミトンはどうだとか細けーコト気にしてやがったからな。くれてやる」
同じ屋根の下に住む者同士が、何でもない日に、手製の贈りものを貰うというのはなかなか気恥ずかしいものだった。家庭教師の芸の細かさ、もとい趣味範囲の広さに呆れかえりもするが、リボーンを除く部屋の全員から興味深げな視線をむけられていることに気がつくと何よりも照れくささを感じてしまう。
「あ…ありがとな」
てぶくろを外すと包装紙でくるんで膝のうえに置いた。言ったことすら忘れていたごく細かな不満ですらリボーンが覚えていてくれたことに少しだけ、感動を覚えた。
そんな感謝の気持ちに心動いたツナがあらためて礼を言うべきか迷っていると、彼は雲雀にむけて躊躇うことなく口火を切った。
「───というわけだ、雲雀。ツナが俺の代わりに相手するぞ」
「…へ?」
「こいつに勝ったら遊んでやる」
「ワオ、楽しみが増えたよ」
「な、何でそうなんの!?」
当然だ。という顔ぶりで黒い家庭教師はしれっと答えた。
「普段しねぇ俺のトクベツをくれてやったんだ。───俺は高えってことくらい知ってんだろ?」
「……返品は」
「贈り物はプライスレスだぞ。ありがたくもらっとけ。」

タダより高いモノはない。

一時の情にほだされて、同じような手口に何度も何度もしつこく騙され続けてきたというのに、何で俺は性懲りも無くまた填ってしまうのかとツナは自分を責めたくて仕方がない。
しかしながらその持ち前のお人好しな気概こそ他でもない買い物上手な家庭教師の手によってとっくにお買い上げされていたことに気がつくのはまだまだ先のことであった。