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イタリアでマフィアの用心棒をしていた当時は、その数年後に己が幼稚園の教諭になるとは夢にも思わなかった。



抗争で負った傷跡だらけの肌にも心地よくなじむ冴え冴えとした母国の風と別れ、島国日本独特のねばりつくような湿気に耐えながらランチアは今日も輓馬のように働いている。
ひとことで言えば、図らず六道骸の興味を惹いてしまったことが彼の一番に泣くべきところであった。

ランチアは孤児である。
だがその境遇を補ってあまりあるほど素晴らしいファミリーに拾われた。
血のつながりこそ無かったが目に見える以上の確かな絆でむすばれた親、兄弟の暖かさというものを知った。
だが、ある時にそのすべてを喪った。ランチアが居を留守にした数日をみはからい、かけがえのない居場所を潰したのは他でもない六道である。
六道は自分が興味をもった対象を自分の視界にいれておかないと気が済まない人間らしかった。目的のためには手段を選ばず、ランチアのファミリーを壊滅せしめておいてひとり復讐に燃える彼を言葉巧みに言いくるめ、敵を捜す彼に味方する顔をしてまんまと日本へ連れてきたのである。

しばらくしてランチアが六道のどす黒い本性を知ったのと、六道がランチアへの気まぐれな興味を失ったのは同時だった。無論、一辺倒なランチアは正面から彼に挑みかかったが片手で幼子をあやすようにいなされ、更には千種や犬という彼のシンパも加わり多勢に無勢、こてんぱんに熨されて終わった。───それが記憶にも新しい半年前のことである。

鳩尾にとどめの蹴りを喰らわせて動きを完全に封じたあと「これほど愚直な復讐者も珍しいですね」と嘲弄する六道は何故かその時ひらひらのエプロンを身につけていた。いい歳をして《むくろ園長先生》とデカい名札をこれ見よがしに胸元へ貼りつけるふざけた出で立ちはランチアの怒髪天を突いたが満身創痍の身体ではどうすることもできなかった。
それでも両腕が健在なら掴みかからんとするランチアの気迫は、運悪いことに六道のサドっ気をおおいに刺激した。
結果、即日にありとあらゆる手段を取られ、ランチアは祖国へ帰ることができなくなってしまい、背に腹は代えられずカタキの元で身を粉にする羽目になったのである。



上司となった六道を憎く思う気持ちもあるが、それに固執して今を立ち止まるほど愚かでもなかった───と、そう言えば格好はよいが、つまるところ半分が諦めの境地である。この諦めというのはもはやどう足掻いても祖国で用心棒としての生業を続けることはできないことへの諦観であって、どうにでもなれ、とふて腐れる心境とはいささか違う。

六道は憎い。だが憎しみで腹は膨れない。
かくして地獄は始まった。
教室を飛びだした園児を探しまわっていた翌日園長室に呼びだされ「廊下でことわりもなく僕の前を歩いたでしょう」と時代錯誤なインネンをつけられ減俸されるわ、毎朝仕込まれた画鋲やクギをふるい落とさない事にはおちおち中履きも履けない悪質な嫌がらせを受けるわ、千種や犬、髑髏といった近衛兵のような同僚(ランチアにはそう見える)からは同室にあっても無視を決め込まれるわと四面楚歌状態の悲惨な職場環境に身を置いている。
今の状況はこれに輪をかけて酷い。ある日を境にエスカレートしたのだ。徹底的に冷遇される根本的な原因は何かとランチアはこのところ考えていたが、つい先日ひとつの結論に及ぶ。

六道は俺の性分が気に入らないのだ───と、ランチアは至極真っ当な考えに至った。
共に仕事をしていく中で印象が変わるというのはよくあることだ。(逆に言えば、どれだけ考えてみてもそれ以外に皆目検討がつかなかった。)骸は大人数で動くことを好まないが、かといって個々の実生活に支障をきたすほどの礼を自分に尽くそうとしない部下も好かないのだろうとランチアは思った。
かといって六道骸に頭を下げようとは思わない。奴はカタキなのだ。
そして過去は過去と思っても、家族のように愛してきた某中規模マフィアのしんがりを己の腕一本で務めあげたという心地よい歳月の重みと自分を拾って一人前に育て上げてくれたボスやファミリーの顔が、牛乳臭いぞうきんをすすいで波打っている淡乳白色の水面にすらフと過(よ)ぎるので忠義を尽くす先をおいそれと変えることが出来なかった。
腹を括って取り巻きの一人となってしまえば同僚との距離も近くなるし意思の疎通も容易くなりそうなものだが、そこは一宿一飯の恩義ですら一生背負って生きようとするランチアである。雇用主の骸に恩義を感じていない訳でもなく、一般人に怖がられる強面な顔を隠すためソフト帽を目深にかぶり偽装してまでおもむいた職業安定所の自動ドアを前にして後一歩のところを断腸の思いで踏みとどまった事実が彼にはある。

嫌がらせの根本は煮えたぎるような嫉妬心から来ているとは夢にも思わぬ健全な思考をもって、ランチアは今日もいわれのないイジメに黙々と耐えているのであった。



* * *



なるべくしてなったこのポジションに正面から付きあい三ヶ月が過ぎた。

日本の気候に身体をならし、とまどいはのこるが文化に親しもうと努力したかいあってじょじょに己に合った生活のリズムがみえてきた。
粗食だがとりあえず食うことに不自由しなくなると不意に恋しくなるものがあった。
彼の生きがいのひとつ、ゲームである。
どんなに願っても並盛町に本格的なゲームバーがあるはずもなし、といって諦めきれないランチアは寸暇を惜しんでそれらしき場所を探しまわった。

苦労のかいあって隣町に一件のバー見つけた。古ぼけてはいるが店のなかにながれる年代物のブルー・ノート・ジャズを飴色の酒にひたして酔えるような居心地のいい玉突き場である。
そこのオーナーと仲良くなり、週に一度のペースで通ううちに顔馴染みの日本人も増えて世間話ていどは気兼ねなくできる間柄になり、貧相な生活にうるおいを得た。
だがひとつだけ残念なことがあった。相手が弱すぎるのである。
二十五歳のランチアより年上らしい(日本人は大方が童顔なので見分けが難しい)腕に覚えありという客の何人かとやり合ってみたが、気がつけば対戦していたはずの男を指導する羽目になっているので、手応えを感じる感じない以前の問題に否応なく付きあわされた。指導を受けた男は喜んだがランチアは面白くなかった。
指南上手な彼を目当てに客が増えたこれをオーナーが見逃すはずもなくランチアは指導要員を兼ねた客として特別の待遇をうけることになった。
当初の夢ははかなく散ったが、飲み代と台の使用料がタダになることは魅力だったのでオーナーの提案を不承不承受けた。

それから更に倍の月日が流れたある日、ランチアのもとに一条の光がおりた。





並盛町にプロ級の腕前を持つアマチュアのハスラーが居るらしい、という噂を耳にしたのだ。