ほら、いつだってこうして僕を探しに来てくれる。
(──フゥ太、)
そこは果てしなく広くてところどころに立派な樹が生い茂る緑の公園だった。頭上から照りつける太陽が足元をはっきり縁取るので僕は慌てて木の幹へ駆け寄った。
まんまと隠れおおせた僕の傍をなんにも知らないツナ兄が通り過ぎる。後ろからそっと様子を覗う。五歳も歳が離れているのに、今日みたいに偶にその背中がすごく小さく見えてちょっと困惑してしまう。前を歩くツナ兄が木陰に隠れていた僕に気づいた。華奢な肩の前でひらひら左右に揺れている白い手のひらが僕に向かって合図する。
僕は駆け出した。ツナ兄は飛び込んできた僕を抱きしめてくれる。死ぬ気でもなんでもない時のツナ兄は僕の悪ふざけの突進で簡単に尻餅をついた。青々とした芝生の濃い匂いとツナ兄のあったかくて優しい匂いが浮き足立った頭を戒めようとしてくるけどここには僕の自由にならないものなんて何一つありはしなかった。
「重いよフゥ太」
跨ぐ格好で腰の上に乗り上げて退く様子のない僕を遠回しに咎めてくるけど構わなかった。ここは僕とツナ兄だけの世界だから、ツナ兄はどうしたって僕を許してくれる自信があった。
「どうしたんだ?」
早々と白旗を揚げた鳶色の目が苦笑を交えて見上げてくる。頭ひとつ分高い位置からいつも見下ろされている僕にとって、こんな時はどんなわがままも許される全能のような心地になった。
「何か、あった?」
心配性のツナ兄は身近な人間の不安を知るとやっきになるのを僕も知ってる。知らないのはツナ兄だけ。ツナ兄は根っからの善人だった。
「ツナ兄はずっと僕のそばにいる?」
「そんなの、当たり前だろ?フゥ太は家族みたいなもんなんだからな」
予想通りの返答に僕はあらかじめ用意していた笑顔で返す。
「じゃあ…僕が家族の中でしちゃいけないことをしてもツナ兄は僕の傍に居てくれる?」
「──え?」
まんまるに見開かれた瞳の奥まで余すところなく僕の姿を映してくれているのを感じると、僕はとても満たされる。
「フゥ太はそんなことしないよ」
僕を信じきったその目がかえって引き金になることを純粋なツナ兄はきっと一生理解できない。
「するかもよ。だって僕はツナ兄じゃないもの」
馬乗りになったまま僕は右手を高々と掲げると中指と親指を弾き打ち鳴らす。それはこの世界へ向けた僕からの合図だった。
雲の白と空の青みで淡いグラデーションを作っていた空はおとぎ話の劇みたいに東から西にくるりと回転して、太陽が落ちると入れ替わりに月が昇り、クレヨンの黒みたいに体中に貼りついてくる境目のない影が僕らを包んだ。
ところどころに浮かんでいる小さくて綺麗な星はいくらも経たないうちに数えきれないほどの数をなして、活発に明滅しながら僕には分からない言葉で僕のことを好き勝手に囁きあっている。でも僕は何を言われても平気だった。普段ならあまりのうるささに耳を塞ぎたくなるそのざわめきも今夜ばかりはシャンパンのコルクみたいに跳んでいった。ツナ兄がそばにいるだけで何でもできる自分がとても心地よかった。
「しちゃいけないって分かってるけど、ツナ兄を独り占めしたい。どうしてもツナ兄だけがいいんだ。ツナ兄、僕だけを見てよ」
とたんにツナ兄は泣きそうな、悲しい顔を浮かべた。そんな顔をさせたくて言った訳じゃ無いんだけど、でも僕はどんな僕でも認めてくれるツナ兄じゃないと嫌だった。
だからツナ兄が悲しい顔をできなくなるようにしてあげなくちゃって思った。
「ツナ兄、特別に見せてあげる」
脇に置いておいたランキングブックを引きよせページをめくり、ある項目めざして人さし指でツナ兄の視線を誘導する。
「ランキングしてたんだ。この地球上でツナ兄が見つからないところランキング。晴れた日に。何回も何回も──そうして導き出した場所がここだったの」
高揚感にたまらず僕はランキングブックを抱きしめた。
「フゥ太お前、何言って──」
みなまで言わせることが急に野暮に思えてきたのでツナ兄の疑問を吹き消してあげようと自信たっぷりに言葉を継いだ。
「僕、気付いたんだ。ツナ兄は僕のランキングを覆すことができるけど、ツナ兄の他は誰ひとり僕のランキングを破れない。僕はここから出るつもりは無いから、僕達ずうっと一緒にいられるんだ」
薄い胸の上に寝そべりながらそう言ってあげるとツナ兄の顔からみるみる表情が抜け落ちた。ふっくらした青白い唇の窪みで白く整った前歯がうっすら覘くのが印象的だ。フランス人形みたいに綺麗なガラスの目がまばたきもしないで僕だけを見ていた。
「…そんな顔もできるんだね。そんな顔、絶対あいつらは見たこと無いはずだよね」
ツナ兄の瞳を通して僕は夜空に煌めくランキングの星に感謝した。ああ、僕にこの力があって本当に良かった。僕だけのツナ兄。僕だけに向けてくれるツナ兄の特別に僕はたまらなくなった。どんなことをしてもツナ兄は僕から離れない。離れないって事は許してくれてるって事だ。どんな僕でも許してくれる度に僕は嬉しくなって、どこまで許してくれるのか具体的に知りたい欲を抑えられなくなる。今みたいに。
「僕はツナ兄の幸せを願ってる。誰よりも。だからツナ兄も僕の幸せを願ってよ」
そうして僕は胸を張った。普段ツナ兄が沢山の人間に向けている愛情を今度は僕一人だけに注いでくれるだけでいいんだから、ツナ兄の負担は以前より比べようもないくらい軽くなる。悪くなることなんてひとつもない。
僕はとてもいいことをしている。でも、もっともっと良いことをしたい。その為に僕はツナ兄のことをもっともっとランキングしないといけないんだ。
「なあんだ、早くからこうすれば良かったな」
──僕は、とてもいいことをしている。
* * *
「…た、」
「ん…ううん………」
「──なぁ!フゥ太ってば!」
「っわぁっ!なに!?」
肩を揺すられたのを感じて慌てて飛び起きると俺の顔を覗きこむツナ兄の顔がすぐ目の前にあって、思わず息を呑みこんだ。
「うっ…けほっ…!」
「だ…大丈夫かフゥ太!?」
どうしてか自分でもよく分からないけど後ろめたい気持ちが勝り、僕は笑ってごまかすと自分の失敗をとりつくろう。
「えへへ…大丈夫…!あっ、僕ツナ兄の夢見てたんだ!起きてもツナ兄が居たからびっくりしちゃった!」
「俺の夢?」
「うん!ツナ兄と遊びに行く夢だよ」
それを聞いてツナ兄はちょっと驚いたようだった。
「って、フゥ太そんなに今日のこと楽しみだったの?」
「え?今日のこと?」
オウム返しに聞きかえして僕はやっと思い出した。寝っ転がっていつの間にか眠ってしまっていたリビングソファから飛び起きて窓の外を見る。夕陽もとっくに落ちて外はもう星が見えそうなくらい暗くなっていた。
「ツナ兄!」
「なっ、なに!?」
「僕どれくらい寝てたの!?」
「…ええと…四時間くらいかな。リボーンはディーノさんところに泊まりがけで出かけてまだ帰ってきてないから何やってるのか知んないけど、ランボとイーピンとビアンキは母さんともう行ったよ」
顎で指されてそこを見遣るといつもママンのいるキッチンは明かりも落ちていて、僕とツナ兄の居るリビング以外は家中すっかり静まりかえっていた。
それも当然のことで、今日はツナ兄の家に居候している僕たち全員がひと月前から楽しみにしていた並盛町会秋祭りの日だったのだ。この話題に限ってはあのランボと意気投合できるくらい今日十月八日の秋祭りを心待ちにしていたのに、よりによって当日出遅れたことに僕はほぞをかむ。時計を見ると非情な短針は午後七時半を指していた。
「五時頃フゥ太何回呼んでも起きないし、あんまり気持ち良さそうに寝てたから起こすのやめたんだ。でも母さん達そろそろ帰ってくるって言うし、夕飯で何か食べたいものがあったら買っていくからって今連絡きたんだけどフゥ太何食べたい?タコ焼きとかじゃがバタとかイカ焼きとか何でもあるって。俺焼きそばにするけど…」
秋祭りは宴もたけなわで満喫したママン達がもう帰ってきてしまうと知って僕は真っ青になった。昨日の夜舞い上がって眠れなかったのがこんな時に祟るなんて不運ったらない。
「ツナ兄!」
「ん?」
ママンにメールを打つため手元をいじくって気のない返事をするツナ兄の目の前に乗り出した僕は、必死になってツナ兄の腕にかじりついた。
「僕も行きたいよ!今から秋祭りに連れて行ってよ!」
「はぁ!?」
目を剥いて驚かれたけど僕は体面保つ余裕なんてこれっぽちもない。いつも僕に面倒みてもらってるランボが連れていってもらえたのに僕が遊べないなんてそんな不公平許せなかった。
「だってフゥ太お前、秋祭りは八時で終わりだし行ってもすぐ帰ってこないとなんないんだぞ?」
秋祭りのスケジュールが載っている町内回覧板を何回も何十回も読みこんでいた僕だから行っても無駄足になる事はツナ兄に言われる前からよく分かってる。でも夜の秋空に爛々と浮かび上がる赤提灯に気持ちはとっくに飛んでいた。
「やーだー!やだやだやだやだ!ねぇツナ兄今から行こうよ!お願いお願い…!」
「わっ、フゥ太涙目になることないじゃん…そんなに行きたいのかよ…」
「行きたいよ!ねぇツナ兄お願いだよーっ!」
頼まれたら断れないランキング不動のナンバーワンをほしいままにしているツナ兄だから、言い続けていれば絶対一緒に行ってくれる確信があったけどそんな裏打ちに関係なく僕は全力でツナ兄にとりすがった。
こういう時ツナ兄の目には僕が小さな犬に見えているらしい。僕の目を見るまいと中空を仰いでいたツナ兄はやがて根負けして白旗を揚げた。