「えへへツナ兄と二人だけで秋祭りー」
「フゥ太、もう暗いんだから境内の中は走るなよ?」
「ツナ兄が手を繋いでくれるんだもん、そんな勿体ないことしないよ!」
「勿体ないって…ヘンなフゥ太。あーでもやっぱり店はほとんど閉まっちゃってるなあ…」
列をなした赤提灯の通りに目をやったツナ兄が頭をかく。秋祭り会場の並盛神社境内に来るまで三十分かかったのだから当然と言うべきか、悔しいけど露店はもう数件しかやってなかった。
的屋はもう店仕舞いしていて会場に溢れていたはずのお客さんも今はまばらで喧騒もなく、ポイ捨てされて踏みしめられた焼き鳥の串や発泡スチロールの長皿を見るとなんだか無性に物寂しい。
「僕…楽しみにしてたのにな…」
本気で悔しい。本当なら二時間くらいずっとツナ兄と遊べるはずだったのに。端から端まで全部の露店をまわって、ヨーヨーとか金魚すくいとかやりながら、ひとつ丸ごと食べるには多すぎるじゃがバタとか珍しいケバブなんかを買ってツナ兄と食べ比べっこしたかった。
そんな顔を見ることになったツナ兄は何も言わなかったけれど気まずそうに額を掻いている。せっかく連れてきてくれたのに、僕と居て損した気持ちにさせたくなかったのに、僕はすぐ顔を上げることが出来なかった。
「なあフゥ太、まだ全部の店閉まっちゃった訳じゃ無いんだしさ」
「うん…」
手を引っぱってもらってようやく歩いているような僕にもツナ兄の手は温かくて、ちょっと気持ちが上向いてくるとどこからともなくバターのいい匂いが鼻をくすぐる。そのとたん、気恥ずかしくなるくらい大きな音を立ててお腹が主張をはじめた。慌ててお腹を押さえると同じタイミングでツナ兄もお腹を押さえていたのでびっくりした。
「ツナ兄?」
「え、あっ…あははは…俺もみたい」
一瞬間があって、照れくさそうに苦笑いして白い歯をこぼすツナ兄につられて僕も声を出して笑った。僕たちを囲んでいる提灯や裸電球がさっきよりずっと明るくなった気がした。
「あと残ってる店はイカ焼きとチョコバナナとタコ焼きかぁ…フゥ太は何食べたい?」
「チョコバナナ!」
ツナ兄とふたりでひとつのじゃがバタをつつきながら境内をまわり、露店にかかる日本らしい綺麗な暖簾を物色する。北国には行ったことが無いけれど北海道産というじゃがバタは一口ほおばるごとにジャガイモの中に溶け出していたバターがじんわり口の中にひろがるので僕は夜空に向かって至福の白い溜息をついてしまった。
「そんなにじゃがバタ嬉しそうに食べる奴初めて見たよ」
「だっておいしいもの!ツナ兄だって半分こした分すぐ食べちゃったじゃん。…僕のも食べる?」
「えっ、…いやいいって!」
「だってツナ兄が食べたかった焼きそば、もうお店無いってツナ兄言ってたし…」
表情はあまり変わらないでも残念そうなツナ兄の声色を思い出していると、優しい手が僕の頭の上に乗った。
「ありがとな、でもそんなところフゥ太が気にする所じゃないって。いいから早く食べちゃいな、チョコバナナ行くんだろ?」
「えへへ…うん!」
そんなささやかなやりとりも最高に幸せだと感じられるくらい今の僕はすごく満たされていた。
──あの露店に行くまでは。
* * *
「ごっ、獄寺君!?」
「じゅっ、十代目!?」
「………。」
お互い顔を見合わせて唖然としているツナ兄とスモーキンボムに挟まれた形で僕は仏頂面を浮かべながら残りのじゃがバタを一気に頬張った。ツナ兄の前で口に出して言うことは無かったけど、すっごくすっごく面白くなかった。
「ねぇツナ兄!僕やっぱりタコ焼きが食べたい!」
「ええっ?だってあんなに食べたそうにしてたじゃないか。…獄寺君、まだお店やってる?」
急な方針転換を僕の「遠慮」だと勘違いしたツナ兄はチョコバナナの柄を刺して売るための発泡スチロールが見あたらないのに気付いて遠慮がちに訊ねる。
「勿論です十代目!十代目がご所望ならこの店は二十四時間営業中ッス!」
「そ…そうなの…?ええと…じゃあ一本くれるかな?二百円だよね?」
「十代目から代金を頂くなんて滅相も無い!」
露店の脇にあった値段表示を確認してポケットからお金を取り出すツナ兄に慌てふためいたスモーキンボムは制止の声を上げる。何だか置いてけぼりにされたようでそんなやりとりさえ面白くなかった。
「ねえツナ兄もういいよっ!ツナ兄の食べたい焼きそばも無いし僕もお腹一杯だしもう帰ろうよー!」
ツナ兄に向けて言ったのにそれを聞き逃さず犬みたいな機敏さで先に反応したのはスモーキンボムだった。
「十代目は焼きそばをご所望なんスか?」
「え?あ、うん、そうだったんだけど…でも来たのが遅かったから閉まっちゃってたんだ」
「そうでしたか…、でもおかしいッスね、北通りのあの焼きそば屋今日は八時半までやってるって聞きましたよ」
「え?焼きそば売ってるお店って東通りの一ヶ所だけじゃなかったの?」
「いいえ?今日は二ヶ所の露店でやってるハズです」
「………」
「………。」
沈黙の後にいち早く閃いたスモーキンボムは目を輝かせながら断言する。
「十代目!ちょっとここでお待ち下さい!オレがひとっ走りしてその焼きそば買ってきます!」
尻尾があったら間違いなく振っているだろうその様子に僕はジト目になる、けどツナ兄は慌てるばかりだ。
「そんなことしなくても大丈夫だよ!獄寺君お店やってるしほら、フゥ太のチョコバナナ作ってくれないと…!」
「ですが…!」
買いに行く行かせないの不毛な押し問答を続けているうちに閃いたツナ兄の提案は僕が絶対承服しかねる内容だった。
「そうだ!獄寺君がチョコバナナ作ってくれる間フゥ太はここで待っててその間に俺がダッシュで焼きそば買ってくればいいんじゃん!」
「そんなっ…」
言外にこのうえない名案だと言わんばかりの明るい表情に一瞬口を挟むのを躊躇ってしまったのがアダになった。
「獄寺君ごめん!チョコバナナ出来ても俺がまだ帰ってこなかったらフゥ太をちょっと見ててくれる?」
あまつさえツナ兄はスモーキンボムに手を合わせてお願いを始めてしまう。
「ッ──お任せください十代目!」
断る理由も消し飛んだスモーキンボムが快諾したので僕は泣きたくなった。
「ツナ兄!僕はスモーキンボムに見て貰わなくても大丈夫だよ!」
「一人じゃ危ないから駄目だよフゥ太。ごめんな。ちょっとだけ待っててくれよ、な?」
「う……」
こんな時ツナ兄がたまに見せてくる顔はとても卑怯だ。僕は言いたいことを全部呑みこんで頷くしかなかった。
* * *
ツナ兄の帰りを待っている間、僕はスモーキンボムの手元を見て、僕のチョコバナナを作るはずのスモーキンボムが忙しく動かしたのは手じゃなくて口だった。
いいかランキング小僧、部下もともなわずプライベートで十代目直々にお前を秋祭りに連れて来てくださったということがどんなにありがたいことなのか十分理解するためにこの右腕の俺が十代目の素晴らしさを教えてやる、と言うが早いかスモーキンボムは語り出した。
一挙動ごとに口を挟んで更に身振り手振りも交えるものだからチョコバナナ作りを始めたのは五分前のことなのにまだバナナ一本剥き終えられない。スモーキンボムのツナ兄自慢は止まるところを知らない。ツナ兄の凄さを知っているのは僕も同じ…というかランキング能力を持っていて客観的な見地から見ても僕の方がよく知っている自信があるのに、その僕に向かって分かりきっていることをあえて聞かせてこようとするスモーキンボムの考えがよく分からない。
十代目に。十代目は。十代目には…
ツナ兄が来る様子はまだない。この並盛神社は並盛町民が迷子になるランキング二位にランキングするほど広い神社だから、きっと迷っているのかも知れない。それにしたって、手を背中でいじくって暇をつぶしをしたり足元で円を描いて気を紛らわせていたけどあまりにスモーキンボムがのべつ幕無く喋りまくるので段々腹が立ってきた。
(なんか…面白くないの)
大体からしてツナ兄と遊びに来たのにどうしてスモーキンボムに時間を取られないとならないのだろう。そんなに話したいことがあるんならその辺の杉の木に向かって話しかけていれば良いのに。──そう思った矢先だった。
「十代目こそが──」
何十回目か分からなくなったところに極めつきの「十代目」で僕の中で何かが切れた。
「もうっ!いいかげんにしてよスモーキンボム!」
「っ!? んだとテメェ!人がせっかく優しくしてやってんじゃねぇか!」
ただの自慢話がスモーキンボムの優しさなんだとスモーキンボム本人に言われて僕は目の前の自称右腕の底の浅さにびっくりした。
(なぁんだ…損したな)
そう思いながら僕はちょっと笑みをこぼす。ツナ兄との楽しい時間を十五分も潰してしまったのは癪だったけど、でもそのお陰で僕とスモーキンボムの格の違いがハッキリ分かって僕は嬉しくなった。
「いいよもう沢山さ。それにスモーキンボムが知ってることなんてツナ兄のほんのちょっとだよ。僕の方がもっともっとツナ兄のこと詳しいんだから」
「んだと…」
眉間に皺を寄せても言わんとしていることが分からないみたいだったので僕はわざわざ教えてあげることにした。
「当たり前だよ!僕はランキングができるんだよ?あらゆる物事もどんな隠し事もお見通しさ!」
スモーキンボムが言い淀むそれに気をよくして、もちろん…と前置きして僕は付け加えた。
「ツナ兄が好きだからランキングなんてしないよ?でも僕のランキングを使えばツナ兄の秘密だって何でもすぐにわかっちゃうんだから!」
スモーキンボムは何も言えない、スモーキンボムの力押しだけの特技じゃ僕の能力の前には言い返せない。そんな年上を言葉でねじ伏せることは最高に気分が良かった。
けどその時、僕が予想だにしないドスがかった声が空間に響いた。
「──甘えるんじゃねぇよランキング小僧。」
いつも感情の爆発にまかせた激情的な喋り方しかしたことがないくせに、そのひと言は全く違って内側の烈火をむりやり抑え込んだような声だったので一瞬スモーキンボムの声だと気付かなかった。
「…なん……だよ、…」
予想外のことをされた。そのことに腹が立った。
「なんだよ!僕が何に甘えてるっていうのさ!」
「自覚がねぇのが証拠だ!」
「っ!?」
スモーキンボムは露店から身を乗り出し人差し指を僕に突きつけながら、目のその奥まで見据えるような鋭い目つきでやがて怒りを露わにする。
「お前にとって十代目は命の恩人じゃねぇか、その十代目の秘密まで曝こうとするのはお前が甘えすぎてる証拠だ!…十代目はお優しいからお前の事を許すかも知れない。けどそんなことをしやがったら俺はお前の事を許さねぇからな。俺はお前の事は九歳だと思ってねぇからな」
どうしてかそれに正面から言い返すことができなかった。
「ぐっ、なんだよ…ツナ兄はお前みたいに心の狭い人間じゃないよ!」
「当たり前だ。俺とは比べるべくもねぇ、十代目のお心は空よりも広くていらっしゃるんだからな。」
「僕のすることをいつだって許してくれたもの!」
今度は僕の言うことに言い返しもしなかったスモーキンボムは思い出したようにタバコを取り出して一本咥える。もう話は終わったと言わんばかりに余裕ぶった態度を見せつけられて僕は矛を収める訳にはいかなかった。
「なんだよ…何なんだよ!訳わかんないことばっかり!そんなこという奴はこうだ!」
悔しさを押し込めて涙まじりの目でにじんだ夜空をじっ、と見る。朝の予報では今日の天気予報は晴れ。目視で確認しても夜の空は星が沢山またたいていた。
“こちらフゥ太!ランキング星、応答せよ!”
僕という存在を、僕を形成している体の中身ぜんぶをランキングの星に明け渡してしまうような不思議な感覚。そのあと、周囲からわずかな風が巻き起こり、僕を中心に数メートル以内にある露店全部をキイキイと軋ませた。僕がランキングの星と交信するためにトランス状態に入ると周りの重力はめちゃくちゃになってしまうのだ。境内に撒かれた細かい砂利が螺旋模様を描きながら宙に躍る。タバコの箱を取り落としたスモーキンボムがこっちを見てくる視線を感じた。上下の歯に挟まれていたタバコがひゅるっ、と上空に舞い上がる。それでも止めてやる気はさらさら無い。ランキングの星を使って知りたいことを知るのが追われるこの身に生まれた僕の特権だからだ。
そして今知りたいのは──最高の嫌がらせ。
“こちらフゥ太、聞こえるよランキングの星。スモーキンボムこと獄寺隼人の命日ランキング、第一位は…──”
僕の交信内容を耳に入れたらしいスモーキンボムの表情が挑みかかるように強張ったのが視界に入る。でももう遅い。プライドの高いスモーキンボムが万が一にも謝ろうとしたって止めてやるもんか、と怒りを綯い交ぜにしながらランキングの星に続きを促した。
“西暦、二千…──”
ランキングの星が伝えてくる内容をそのまま口に直結させる。そうしながら僕は僕を見下したスモーキンボムを心の中で笑ってやった──その時だった。
「っ…!?」
「十代目!!」
一瞬どころかしばらく何が起こったのか分からなかった。分からないなりにも僕の右頬は火を持ったように熱くなっていて、ランキングの星との交信をいきなり中断させられた、ということだけ分かった。
「フゥ太…」
いつの間にか尻餅をついていた僕はぼうっとした頭のまま声のする方を見上げる。目の前にはツナ兄が立っていた。
ツナ兄の後ろのスモーキンボムは今正に信じられないものを見たように青ざめて唖然とした顔で硬直している。二人を代わる代わる目に入れてようやく僕は自分がツナ兄に頬を叩かれたことを知った。
「フゥ太ッ!獄寺君に何てひどいことするんだ!」
僕でさえ驚くような今までに無い声量をともなって叫んだツナ兄はとても悲しそうな顔をしていた。
「ツナ…にい…?」
それだけ言うのがやっとだった。頬が痛かったからじゃない。ツナ兄の声を聞いてからずっと僕のなかの芯みたいなものが凍りついたままで口が痺れたように動かなかったのだ。けれど事情を説明する時間は僕に与えられることはなかった。
「フゥ太なんてもう知らない!俺一人で帰るからお前も一人で帰れよッ、じゃあなフゥ太!」
「…っ…」
何が悪いのか、どうしてツナ兄が怒っているのか、どうして僕が…僕だけが怒られたのか、分からなかった。
でもツナ兄はスモーキンボムのほうを振り返り「ごめん」と力ない声で詫びを入れてそれきり一人で並盛神社を出て行ってしまった。
「………」
真横を通り過ぎていったツナ兄の背中を見えなくなるまでぼんやりと眺め、やがて目を落とすとツナ兄があんなに楽しみにしていたものがあるはずの無いところから視界に飛び込んできたので僕は泣きたくなった。認めたくなくて少し離れた地面にあるそれを何度も確かめる。ツナ兄が僕を止める時に投げ捨てた三つの焼きそばが透明パックから飛び出していて、ひとつ残らず砂利の上に散乱していた。
ただひとつ分かったのは、僕はツナ兄に嫌われてしまった、ということだけだった。