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「ツナ、支度しろ。イタリアへ飛ぶぞ」
「…は?」
ツナの高校生活最後の年、一緒に住んで幾年月の同居人リボーンは至極つっけんどんに、部屋の主にそうのたまった。
ときはツナにとってマフィアの次に頭痛の種である大学受験を控えた夏のはじめ。リボーンのそっけなさは、まるでママンの代わりに近所の商店街に買い物しに行くぞと声掛ける時のような言い草だった。

三年前、高校進学を考え始める中学生活の後半に、それとなく本人に聞くことが出来た笹川京子の志望高校の名前を聞いてツナは絶句した。自分の偏差値と内申では、とてもとても口に出すのも恐れ多いほどの頭の良い学校だったからだ。
聡明な笹川京子と何をやっても未だにダメな自分との境界を断崖絶壁の隔たりのように感じたツナだったが、その日帰宅すると即座に、現実的な解決法を提示するスーパーマンことリボーンに泣きついた。
泣き付かれた側、御年三歳のリボーンは、まだ子供っぽい印象の顔立ちだったが、ツナの胸の辺りまで、周りの人間が気がつけば身長が伸びていた。その上相変わらずの生まれながらに落ち着き払った弁舌と、一級品しか取り合わないプライドは健在である。
余談だが、そんな成長した彼と外を歩くと、決定的な証拠である似ても似つかない外見は棚に上げられて、ツナはリボーンと限りなく年の近い兄弟かと頻繁に勘違いされた。 イタリア一の殺し屋と年子。
そんな恐ろしいデマばかり目の当たりにしたり、面と向かって尋ねられたりするようになると、ツナはリボーンが成長してからは、一緒に歩くことさえ自然とトラウマ化していた。
もうダメだ!俺の未来はいいことなんて一つもない!と京子との間に削られた谷に向かって叫んで泣きわめくツナを、リボーンは銃器の手入れをしながら面白そうに静観している。三年も同じ釜の飯を食っている間柄の上に、読心術まで心得ているリボーンは、ツナが泣き疲れて呼吸を置く絶妙のタイミングを計りつつ、口角を上げて彼に救いの手を差し伸べた。
「安心しろツナ。オレが京子と同じ高校に入れてやる。少しはレベルのある高校に入った方が将来有利かも知れねーしな」
勿論、リボーンがツナの経歴に箔を付けるのは、ツナがあこがれる彼女と素敵な高校ライフを送らせるためではなく、血を血で洗うイタリアマフィアの筆頭ファミリー、ボンゴレ十代目就任の日のためだ。
リボーンのその微笑みは、付き合いの深いファミリーたちにも気が付かれる事は滅多にない明滅のようなものだったが、ツナはリボーンの笑みに隠れる暗黙の真意に即座に勘づいた。と、同時に一足飛びでリボーンから逃亡するべく反対の壁にへばりつく。
「俺絶対にマフィアのボスなんかにはならないからな!」
顔を青ざめさせつつも、殺し屋に面と向かいながら負けじと主張するツナを見て、ボンゴレを拒絶するセリフを吐くときだけは一人前になりやがる、とリボーンは、ツナの勘の働きぶりに苦笑いと忌々しさを感情の中でない交ぜにする。
「よく分かったな、だが…」
左手で帽子を深く被り直して、僅かに覗かせた眼光だけで、すでに蒼白だったツナの全身を射すくめる。たまらずにヒッと喉で喘いだツナの視線の先には、リボーンが腕の力だけでいとも簡単にあやつる、にぶく黒光りした特注のリボルバーが、静かにリボーンの右手に握られて、その存在を主張していた。
毎日寝間着に着替えするごとに、見るでもなく自然と目に入ってきたリボーンの上半身は、情けないが、自分よりも筋肉はついているだろうと確信できるしっかりとした体つきをしていた。しかし、著しいほど逞しくはなかった。なのに、どうしてそんな重そうな銃を軽々と扱えるのだろう、とツナはぼんやりと同居人に銃を突きつけられているお馴染みの現実から早くも逃避を始めていた。
ツナの遠い目を全く面白くない目で睨みつけるリボーンは、小さく舌打ちすると堂々と大股で詰め寄り、グッと喉にリボルバーの銃口を食い込ませながら特別低い声でツナを無理矢理引き戻す。
「てめーは京子の高校に行きてーのか行きたくねぇのかどっちなんだ?」
「そ…そりゃ行きたいさ!でも、俺のダメな頭で行けるわけないじゃないか!」
リボーンに、成長する組織を根こそぎ奪われでもしたかのように、背も伸びないし、不健康に白いままの肌と顔を珍しく真っ赤にさせて、腹の底から懇願している願いを全力で否定する。
それを受けてリボーンは今までのドスを利かせた声はどこへやら、口調を元に戻しつつ、しかし拒否は許さない目で命令を下した。
「オレはツナのママンと契約したカテキョだしな。今まで以上に勉強してーんならそれを手伝うのはオレの仕事だ。じゃ、始めるぞ」
そういうと、リボーンは弾痕のあるツナの教科書ではなく、どの高校より覚えがある高校の過去入試問題を放って寄こした。それは見違えるはずもない、京子が入学を志望している高校のものだ。
「とりあえず今のてめーの死ぬ気になった学力見せろ」
言うが早いか死ぬ気弾を装填した愛銃をツナの頭部に向ける。すかさず狙いの先を両腕で覆い隠したツナは、リボーンの静かな反感を買った。しかし無言のプレッシャーで圧迫されようが、それが地球一周ぶんくらいの遠回しで自分のためだろうが、撃たれるごとに副作用が起こるのは身をもって知っている。毎回筋肉痛に晒されるだけならともかく、10回撃たれるごとに奇病に冒されて命の危険に晒されては、いくら諦めの早いツナだって頻繁にその手段を使われるのはたまらないのだ。
「うわっ!ちょっと待てって!死ぬ気にならなくても問題解くだけならできるだろ!」
「却下だ。てめーはいつも手を抜きやがるからな」
「お前俺を十代目にするために来たんじゃないのかよッ!?」
ついカッとなって反射的に自分を餌にするような事を表沙汰にするが、リボーンはどこ吹く風で感情が揺れ動いた様子すらない。
「ツナが死ぬ気弾の副作用で終わるようならそれまでだ」
あっさりと言うリボーンにツナは内心地団駄を踏んだ。まるで会話が成立していないうえに、隙あらばその刹那死ぬ気弾を撃たれる、そのプレッシャーで潰されてしまいそうだ。
「ツナ、手をどけろ。撃てねーだろうが」
「い、嫌だ!」
一秒ごとに一回り大きくなるリボーンの殺意に必死に抵抗する。しかしその鬼のような底なしの威圧感は、ふっと手品のように突然かき消えた。
仕方ねぇな、とつぶやいて今日は妙にあきらめの早いリボーンがくるりと背を向けてリボルバーを懐に戻す。
いつもと違う、あまりの簡単な諦めように拍子抜けしながらも、ここで撃たれてはたまらないと依然としてツナはおでこをガードし続ける。
それを尻目に見たリボーンは、付き合いの深いファミリーたちにならやっと分かる笑顔をツナに向けて、年相応の可愛らしくも憎めない、リボーンがいつも山本用に使っている、ある意味年齢詐称の愛くるしい声のトーンを作りながら、未だに防御モードのツナに向き直った。
「変態ツナ。さっきからオレの着替えばかり妄想すんな」
「…え?ばっ違うわっ!!そんなんじゃ…ってお前っまたやッッ…!!」

パンッ!

自分に心を読まれているのを分かっているはずなのに、考えを留めたりすることは決してしないで、毎回毎回必死に反論しようとするツナが途方もなく面白く、また異議を主張される前に、リボーンは清々しい気持ちのまま、隙が出来たツナの脳天に一発死ぬ気弾をお見舞いしたのだった。
一度折れてからというものの、死ぬ気弾を使って英単語を覚えさせられるわ、間違いの選択肢を選べば部屋がドカンの今までの修学方針が優しかったとさえ思えてしまうハードな勉強をさせるわ、リボーンはリボ山を名乗って授業を乗っ取り、マル難マークの問題ばかりを10回中9回当てるわ(残る1回リボーンは必ず山本を当てるのだが、彼はなぜかいつもヤマ勘で正解する)、間違えてばかりのツナに対してリボ山は放課後必ず補修をさせるわで、後半の中学生活は勉強したことしか思い出にないほどガリ勉生活だった。
しかしツナは頑張った。どのくらい頑張ったのかと例えるなら、京子にキスされてもおかしくないくらい頑張った。
結果、見事に京子の志望高校合格。
あこがれの京子と高校まで合否を見に行って、二人とも受かっていた時の感動といったら、ツナは京子の目の前で受験番号を握ったまま失神したほどだ。さらに嬉しいことに、山本もスポーツ推薦枠でツナたちの高校に受かったと聞き、ツナは幸せの絶頂だった。ただひとつ気がかりな事と言えば、獄寺もしっかりと偏差値を落として入ってきたことくらいだ。しかしそれは些細なことだった、入学前の当時のツナにとっては。
だが、入学してみると何の因果かと呪わずにはいられない結果が待ち受けていた。クラスが京子とも山本とも三年間別々になってしまったのに、獄寺とだけは三年間離れることなく一緒だったからだ。
そんなこんなで淡い夢を取り逃がしたような高校生活も、すでに最後の三年目。進路を女子大に決めているらしい京子の後を追いかけることは、もうできない。中学から数えて六年も同じ学校で過ごしていたのに、未だにしらふで告白できない(だから死ぬ気の時に告白した中一の苦い思い出はカウントしていない)ダメツナっぷりに自分でも辟易しながら、心の奥底では諦めの境地だ。「どう考えたってこれから忙しくなる京子ちゃんに告白なんて出来やしない!」といつからか自己完結してしまい、最終学年はこのままどこにも踏み込まず、何事にも挑戦せず、のらりくらりと過ごす予定を立てている。一年も二年も似たような事を言っていたのは、あえて忘れることにしている。