そして、十八歳のツナは今に至る。地獄のような中学最終学年と比べて変わったところと言えば、リボーンの身長がついにツナと並んだ事と、ツナ自身のダメさっぷりに磨きが掛かったところくらいだ。
「…冗談?」
読んでいた漫画を、それこそ漫画の一コマのようにバサリと取り落としながらツナはリボーンをまじまじと顧みた。
彼の満一歳を祝ってから、更に五年もの間寝食を共にしているので、ツナはリボーンが自分の前では真実しか言わない事を今までの経験で感じていた。それにも関わらず、ツナは背中に嫌な汗をかきながら、リボーンの今の命令は生まれて初めての冗談なんだろう、と戦々恐々としながら藁にもすがる思いで、作り笑いを自分の顔に貼り付けた。
しかしその能面をぶっ壊すのを生き甲斐にしていると思しきリボーンは、口角を上げながらツナの頼みの藁を根こそぎ引っこ抜いて川に流した。
「何度も言わせんな。殺すぞ」
居候の身でありながら、部屋の主を脅し、空気を凍り付かせることを何とも思わないリボーンを目の前にしてツナは頭を抱える。自分が従わない限り、いつ引き金が引かれてもおかしくない、嫌な時間が刻々と過ぎてゆく。
不意にそれを破ったのは、一回のドアチャイムと聞き慣れた二人の男友達の声だった。
「十代目ー、リボーンさんいらっしゃいますかー?」
「ツナー、チビー居るかー?」
「山本ッ!獄寺君!」
リボーンの居る部屋から飛び退くように廊下に出て、階段の下から自分を見上げる彼らを歓喜して部屋に招き入れる。自分のことを曲がりなりにも心配してくれているらしい二人の前では、いくらリボーンでも自分をイタリアへ連れて行くなんて宣言はそう簡単に通せないだろうという算段だ。
しかし、当のリボーンはやっぱりいつもと変わらずに、憎たらしいくらいの余裕をもって部屋に二人を迎え入れていた。
「おうツナ久しぶり〜教室離れてるから寂しーわな!」
「十代目!三時間ぶりっス!」
「ふたりとも聞いてくれよ。実はリボーンがさぁ…」
今すぐイタリアに連れて行くなんてこんな馬鹿馬鹿しい話は出来るだけ軽い冗談でやり過ごしてしまいたいと考えて、ツナは出来る限り声を弾ませて話を切り出そうとした。しかしリボーンはふたりを視認すると、ツナの言葉をはね除ける力を含ませた声色で、ざっくばらんに話に割り込んだ。
「やっと来たな、獄寺。山本」
「いや〜ごめんな。ちっと手間がかかっちまってよ」
屈託無く笑う山本だったが、彼の服はなぜか少し汚れていた。不思議に思って獄寺の服にも目をやると、彼の服も汚れていた。いや、ほんの僅かだがそれは焦げた痕だと分かる。
「え、山本と獄寺君はリボーンと今日何かあるの?」
そんな話はリボーンからも山本からも、自分を異様に慕っていて何か自慢できる事があれば何だって報告したがる獄寺君からも聞いていないとツナは不審がった。
「この野球バカと協力するなんて願い下げですが!十代目のためとあってはこの獄寺!なんだって耐えてみせます!」
「…話が見えないんだけど…」
当事者でありながらいまいち関われていないで釈然としているツナの前で、馬鹿正直な獄寺は報告した。
「十代目のお住まいの近くをうろついてた刺客どもは、すべて果たしましたからご安心くださいッ!」
途端にツナの顔色が豹変した。頬に僅かに朱を帯びて未だに高校生には見られない幼い顔立ちが、見た者が罪悪感を覚えるほど青ざめてしまった。頭によぎったのは中学二年の時に初めて目の当たりにした、自分を殺しに来た二人組の刺客の姿だった。
「…え?刺客って殺し屋?……ちょっと待ってねぇ獄寺君。一体何のこと!?」
「この獄寺、リボーンさんがいらっしゃらなくとも十代目と縁のある奴らにはどんな刺客たりとも指一本触れさせませんから!」
「あっはっは!チビが絡むと遊びも過激だよな〜」
その時ツナの中でばらばらだった話の断片が一本に繋がった。
ベッドに腰掛けて涼しげな顔で見下ろしてくるリボーンを顧みて、また家庭教師が自分の知らないところで目の前の二人の友達をマフィアがらみの事に、それも今回は命の危険を孕んでいる刺客がらみに巻き込んだのだと分かってツナは猛烈に腹が立った。
「リボーンっ!危ないことに友達を巻き込むなって言ってるだろう!」
得意気になっていた獄寺が反射的に背筋を伸ばしてしまうほど、ツナは声を荒げた。自分の弱さを熟知しているので、体術も心得ている最強の五歳児に掴みかかりはしないものの、なごなごした雰囲気を張りつめさせるに足る剣幕だった。
それを全部綺麗に受け流して、リボーンは真っ向からツナを見据える。
「危ないことに巻き込むな?…いつまで言ってるつもりだ。刺客からボスを守るのが部下の使命だ」
冷えた目を一層研ぎ澄まさせてツナを見下ろす。
「だから山本と獄寺君は友達なんだよ!部下なんかじゃない!それに刺客から守れなんて突然すぎるよ!」
反論するツナに言葉を返したのは山本だった。
「だろーな。俺だってチビにこの遊びやるって聞いたの今日の朝だし。でも、ま、遊びは前から計画立ててたら遊びっていわねーもんなー」
「……は?」
「俺は昨日の夜からっス!」
「え…だって刺客でしょ?人の命が掛かってるんだし刺客だってそんな段取りもなく来るわけ無いはずだし…」
「てめーはホントにダメツナだな。刺客が何時来るか相手にバレてたらターゲットを暗殺できねーだろうが」
ではなぜリボーンは刺客が来る日時まで正確に知っていたのかと問いつめたい衝動に駆られたがツナだったが、愚問だと一笑に伏されてしまう事は目に見えて明らかだったので、それ以降は口を噤んだ。
「今回の奴らは数は多いが雑魚ばかりだ。獄寺と山本で十分だろ。特徴としてはツナとその身辺に最も近い人物を対象に挙げているところだな。だから山本にはツナのママン、獄寺には笹川京子を守らせることにしたぞ。他の奴らは自己防衛ぐらいできそーだからな。」
淡々と状況の説明をするリボーンの話を左から右へ聞きながら、自分のなかにある常識を揺り動かされているツナを、その納得できない混乱から救い出したのは意外なことに非常識のるつぼにツナを引きずり込む男、獄寺だった。
「それはそうと十代目!今日は失礼いたしましたッ!今日の朝も十代目とご一緒したかったのですが、今日はその刺客の対象になっているかもしれない笹川京子と登下校しておりました!これも十代目のためと思えばこそっス!」
獄寺の聞きたくもなかった報告を聞いてツナは盛大に吹き出した。
「獄寺君ッ!京子ちゃんと一緒に登下校したのーッ!!?俺なんか毎朝毎朝付いてくる君のせいでまだ一回も京子ちゃんと登下校したことないのにッ!?」
唐突すぎて本音が出たツナは、ふたりの身の安全よりもそっちの方がリアリティがあって重要視してしまった自分と、自分と笹川京子の登下校風景よりも、獄寺と笹川京子の登下校風景の方が様になっていて、その分格段に想像がし易かったので二重に落ち込んだ。褒められたいがために満面の笑みで進言した獄寺など、そこら辺の舗装河川に放り込んでしまいたい衝動に駆られる。
「獄寺うるせーぞ。ツナも黙れ。半日かかったがボンゴレの方で調べさせてやっと今回の刺客の出所が分かったからな、手っ取り早くオレが潰しに行く。だがその間にツナがやられちまったら意味がねーからツナも来い。カテキョの範疇外だが守ってやる」
ふたりで三人警護すんのは今のこいつらじゃ無理だからな。とリボーンはツナの抜け道を完璧に塞いで話を切った。破天荒なことばかり言うリボーンが一番冷静でまともな事を言っている風に聞こえてしまうのはどういうことだとツナは更に自問自答した。
「説明はおわりだ。聞きてーことは?」
抗議したい事は山ほどあるツナだったが、情報量が脳みそをオーバーフローした結果、彼は持ち前の処世術を発揮した。
「もういいよ…早く終わらせよう。リボーン、俺が行けば解決するんだな?」
「そういうことだ。呑み込みが早くなったじゃねーか。でかくねーファミリーだから早けりゃ一日で終わる」
声のトーンは全く変わらない癖にほんの僅かに口元を上げるのは、この家庭教師が上機嫌な時だとツナは心得ていた。
「…ありがと。それじゃ山本、ちょっとの間行ってくるね。何か変な感じだけど…かーさんをよろしく」
「おう、まかしとけ。けどイタリアに行くなんてチビのやる遊びはいつも規模でかいのなー」
「はは…あ、そうだ。獄寺君」
疲れた苦笑いを浮かべながらツナは山本から、十代目のねぎらいの言葉を今か今かと待ち望んでいるのがありありと見て取れる獄寺へ視線を移した。
「京子ちゃんを危険な目に遭わせたら絶交だからね、それだけは覚えておいて。じゃ、行ってくる」
こうしてツナはリボーンとイタリアへ飛び立った。