俺の家には居候が5人いる。
ひとりはフゥ太。分厚い本を持ち歩いてランキングをつけるのが趣味で、マフィアと対等に取引する男の子。ひとりはビアンキ。ポイズンクッキングを得意とする殺し屋であり獄寺君のお姉さん。ひとりはイーピン。神経を狂わせる餃子拳の達人で将来殺し屋から足を洗う予定の女の子。ひとりはランボ。牛柄の服がトレードマークで、やることなすこと裏目に出る。たまに未来の姿でやってくる。そして、家庭教師のリボーン。最強の名を縦(ほしいまま)にして、滅茶苦茶な話でも筋を通すヒットマン。
むかしと違って全員が集まって何かをすることは無くなったけど、誰かしら3人は常駐して俺の家に迷惑の雨を降らせている。そして忘れられない忘れもしないあの日はイーピンとランボとリボーンが家にいた。
桜のつぼみが膨らみ始めた冬の終わり。午後八時。季節の変わり目に特有の不安定な気圧のせいでその日は激しい雨に加えてカミナリまで鳴っていた──
*
午後八時十分。ツナとランボがマフィアのボス候補と殺し屋としてあるまじき のほほんとした阿呆顔を互いに晒していたとき、カメラのストロボを一気に百回焚いたような、レオンが羽化した時に感じた同等の眩しさの刹那、ガーン!という爆発音と地響きのような強い震動がふたりの全身を襲った。
住む人は多いが風呂場はひとつしか無いため奈々の言いつけでふたりが一緒に浴槽につかっていた時の出来事である。轟音とまったく同時で、汗水たらして懸命に眼下を照らし出していた風呂場の照明が、突如プツッと控えめな意思を残して仕事をアッサリ放り投げた。それに牽引されて目の前からツナの顔が突然かき消えたのを目の当たりにしたランボはみるみる元気をうしなってシクシクという声のあと、ツナの耳元で鼓膜をつんざく救難信号を力いっぱいわめきだした。
「うわああぁんこわい〜こわいよぅ〜」
「俺はお前の角が顔に刺さりそうで怖いよランボ…」
暗闇から受けた恐怖は相当強いらしくランボはツナの制止を聞かずに叫ぶわ泣くわの大あばれをくり返した。具合わるく浴槽にはった湯で溺れるか、逃げ出したさきの洗い場ですっ転びかねないランボを危険視したツナは咄嗟にもじゃもじゃ頭を後ろから羽交い締めにする。ランボが弾みでケガを負わないようにと抱き留めていたツナだったが、そんないたわりを露ほども感じていない子どもの容赦ない抵抗に、持ち前の性格よろしくたちまちうんざりしてしまった。しかしこのまま放っておいてのちに彼が引き起こすであろう事態を収拾せねばならない手間を考えたら今原因を取り押さえておいた方が無難だとツナは思い直し、ふたたび脇の下に細腕の腕をまわすと暴れるランボをなけなしの腕力でなんとか繋ぎとめた。両腕も塞がってしまってさあどうするべきか考えあぐねていたところ、カラカラと引き戸が転がりすべる音がツナの思考をつっついた。途端、湯船のふたりは強烈なライトに照らされた。
光の向こうから様子をうかがう声がする。
「落雷で一帯停電だぞ、ツナ」
リボーンである。一家に一台のラジオ付き懐中電灯を片手に持ち、真っ黒な出で立ちで暗闇に溶けこみながら風呂場よりも一段高い脱衣所に気配もなく姿をみせた。
「リボーン…来てくれたんだ、助かったよ」
「ママンの言いつけだからな。仕方ねぇ」
ソフト帽を被りなおすリボーンを見て、こいつは母さんにだけは弱いんだっけ、とツナは思いだしていた。自他共に認めるフェミニストであるリボーンのこと、おそらく、男どもが一心に頼んだとしても彼は指一本すら動かすことを拒むのだろうということも。
「ブレーカー直してやる。そこでしばらく馬鹿と待ってろ」
「あ、あぁ、よろしくな。…!!うわっラン…ッ!」
リボーンの姿を見て子どもなりの馬鹿力を振り絞ったランボはツナの制止を振り切ってあっという間に湯船の縁に躍り上がった。数年前、気がつけば自分の背丈を追い抜いたリボーンに向かって、ランボは思いっきり胸をふんぞりかえらせてそれなりに対抗しようと頑張っている。
「おぉっとここで会ったがひゃくねん目!見て驚きやがれリボーン!俺っちの新技エレットゥリコ・コルナー…くぴゃっッ!!」
初動も遅く汎用性も皆無でおまけに名前も長い技をランボが言い終えないうちに、丹念になめした黒塗りのムチのような蹴りが無邪気な子牛のみぞおちに食い込んでいた。
半心音の後、ドゴォッ!というこれまた聞き慣れた破壊音がツナの耳元数センチのところで生々しい叫びを上げた。リボーンの影のゆらぎを見た瞬間無条件に閉じてしまった目をおそるおそる開けたツナの前にひろがっていたのは、リボーンの懐中電灯に照らされて、哀れにもツナの頭上で壁にめり込んだランボの姿だった。足が宙に浮いてぴくぴく小刻みに震えているので彼が死んでいないことだけは確かめることができる。ヒットマンの蹴り一閃の恐怖を新たに刷り込まれたツナは縮みあがった。だが、それと同じくしてツナのなかにある優しい心根がふつふつと怒りを呼び覚ました。
「リボーンッ!おまっ…手加減しろよッ!!」
「どっかの馬鹿がどんな死に方しようと知ったこたねーが、ツナにもしもの事があったらオレのメンツが潰れるからな」
害のないはずのランボから庇われるという状態を把握できないツナに、リボーンはライトを向けるが早いか手首を掴んで6歳とは思えない腕力で白い体を自身の体高まで軽々引き上げた。リボーンの腕一つにぶら下がるような情けない格好になったツナは頭がごっちゃになるほど不可解な事ばかりするカテキョに今日こそ抗議を申し立てようと口を開いた。だがリボーンの冷めきった視線を直に感じ取るとたちまち言葉をなくしてしまった。それを確認したリボーンはぶっきらぼうに言った。
「ここは水場だ。その帯電質の馬鹿が湯船に落ちねーうちにお前は上がれ」
手首を握ったそのままツナを湯船から引っぱり出して脱衣所に突き出す。寒さの残る暗がりにツナを追い出すと、こいつも邪魔だとばかりに明かりの点いたままの懐中電灯をツナに放った。それを一方的に寄こされたツナは慌てた。
「お、おいコレ無いとブレーカーが…」
「俺は見える。殺し屋だからな」
破天荒な職業にかまけて常識破りで何でもありのヒットマンにツナは虚脱感と軽い眩暈を起こした。リボーンは闇の中でもその言葉を違えることなく風呂場を後にし脱衣所の引き戸上にあるブレーカーに迷わず手を掛ける。パチンと乾いた音のあと、覗き穴のようだった視界がツナの眼前いっぱいに大きくひらけた。
ようやく照明が点きほっとしたツナだったが、今この時にも湯船の壁に埋まっていて血まみれになっているであろうランボの顔を思い出して慌てて湯船に引き返した。
「ランボ!大丈夫か!?」
僅かな血のにおいとシクシクというすすり泣く声を聞いたツナは、居ても立ってもいられず子どもを壁から引っぺがす。子牛はおでこにおおきなたんこぶを作って鼻からハナ水とハナ血を流していた。顔の上で血と涙と鼻水が混じり合ってもう何が何だか分からない大変なことになっている。
壁に幾筋も亀裂を走らせるほどめり込んだというのになぜランボはランチアのように完治不可能な裂傷を顔に負うことがないのかと不思議でならないツナだったが、ランボが喚きだす前にバスタオルでくるめてあやしてやることに手一杯であったため、それ以上考えることは放棄してしまった。
毎度毎度こんな調子なのでツナの世界に於いて特定人物の打撲・打ち身・捻挫系のケガは何故か早治りする真相は永遠に闇の中である。
「ツナ」
ランボの体を拭いてシャツを着せてパンツをはかせる、まるで年の離れた実弟の世話をする甲斐甲斐しいにーちゃんよろしく手慣れているツナを後ろから腕を組んで見ていたリボーンが事も無げに淡々と言った。
「お前、オレにその情けねぇハダカを見せて楽しいか?」
一瞬の沈黙のあと、自分の格好を顧みたツナは思わず吹いた。ランボの世話に付きっきりの自分こそ湯船から上がったそのままの姿だったからだ。
「なっ楽しいワケねーだろッ!!」
「同感だな。目障りだ」
嫌みったらしく目を細めてリボーンはツナを睨めつけた。
「それともナニか?お前本当に露出の趣味でもあんのか?」
「ばっッ!ちっ違うって言ってんだろッッ!!これはランボの世話で忙しくて…」
途端にリボーンがにこりと微笑んだ。状況説明に気を奪われていたツナも口をつぐんで驚くほど邪気のない笑顔である。
「遠慮すんな、運良くこの近くにサツの派出所がある。てめーがやろうとしてる事がヒトとしてどんな『コト』なのか教えてやるのもカテキョとしての義務だろーからな」
「人のハナシを聞けーっッ!!」
無論リボーンは聞こえている。しかし極寺の如く聞こえないふりをする。自分の身を省みない善行が運悪く恥辱という裏目に出てしまった不幸なツナの叫びですらリボーンは心から愉しんでいる。正に悪魔のようなサドっぷりである。
「リボーンふざけるのもいいかげんにっッ……!!あっ…やばぃ…」
眼前にあるリボーンの顔がダブるほどの眩暈を覚えて洗面台のへりを掴もうと手を伸ばすが時既に遅く、どたーんと間抜けな音をさせてツナは脱衣所でひっくり返った。湯船から上がるなり頭に血が上るようなことばかりしていたその間にも体はどんどん冷えていたのだった。悪循環のダブルパンチである。
「チッ…ダメツナが」
寒空の下、自動販売機の前で語り明かしたあの時にはリボーンの労りをしっかり感じとれたその言葉も、今のツナにとってはにべもない。
自由奔放な変化球はもちろんのこと、相手を顧みない剛速球に加えて傷害目的の危険球まで織り込んだ言葉のボールを容赦なくぶん投げておいて、それを相手が捕れなくても途中でヘバって捕れなかった『そいつが悪い』、そう公言してはばからない男がリボーンである。
屈辱を感じていても気分の悪さから伏せって殆ど動けないツナの体にようやくリボーンからバスタオルがかかった。そして当人はツナの隣に片膝をついた。
「選ばせてやるよ。俺に介抱されんのと18にもなってママンに介抱されんのどっちがいーんだ?」
「………お前。」
半ば諦めた様子でツナは答えた。
「礼儀は?」
「……オネガイシマス」
顔を床に突っ伏してツナは答える。ひと言ふた言答えるごとに、ツナのこめかみ辺りにある怒りの四角スジが際立っていった。されどそれを目にしても尚リボーンはいけしゃーしゃーと言葉の引き金を引いた。
「母国語で言え」
「ペルファヴォーレッ!!」
脱衣所で自分の血管がぷちーんと切れた音をツナはハッキリ聞いてしまった。その途端ツナの視界は暗転し、血管の血と全身の冷や汗がさっと引いてゆくのを彼は遠くで感じていた。
ツナが再び目を覚ますとそこには悪夢が待っていた。
意識が飛んでから時間は少ししか経っていない感じだったが、目の前の事態は急激に悪くなっていた。ランボが一方的にリボーンの方に向かってぎゃーぎゃー何かをわめき立て、そのうえ今にも電撃角で突進しそうな勢いだったからだ。争乱の舞台が風呂場から脱衣所に変わっただけだった。自分のものではないような冷えきった体をむりやり動かしてランボに向かってツナは蚊の鳴くような声で呼びかけた。
「…ランボ…頼むからそれ以上…リボーンにかまうのはやめてくれ…」
後が面倒だから。
その言葉を聞く前にランボはツナの青ざめた顔を見て事態をより深刻に捉えてなお一層騒ぎはじめた。
「うわーツナーっ!この野郎ーっツナに何したリボーン!!」
「答えてやる義理もねぇ」
「!!……ふふっふ…どうやら俺っちを本当に怒らせちまったみてーだな…!!手加減しないぜ!」
アニメ番組から収集してきたとおぼしき台詞をキメるとランボは一呼吸おいていそいそと二本の角をもじゃもじゃ頭にひっかけた。それがどういう仕組みかツナにも分からないが、角の飾りを取りつけた瞬間ランボの角にはバチバチと激しい音が響き、帯電している様子がうかがえた。
「食らえ!新技エレットゥリコ・コルナー…くぴゃっぁッ!!」
「ああ、やっぱり…」
ツナはやさぐれた目を光景にさらした。どうせまたランボがリボーンに蹴られてどっかしらの壁にめり込んでまた俺が助けることになるんだ、と。
だが、場所が変われば状況も微妙に変わる。場所が違うところで同じ状態変化など有り得ない。それは誰にも予測の出来ないことだった。
バチィィィイイッ
「うわっ」
「…!」
ツナの拍子の抜けた声と共に、沢田家の明かりすべてが凄まじい破砕音を上げ、潜んでいた凶暴な闇に次々貪られていった。
その夜、並盛町に無数とある住宅のなかで沢田家の灯火だけが闇にのまれて跡形もなく消し飛んだ。