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「これで最後だ。さっさとやっちまうぞ」
「ってやるのはやっぱり俺なんだろ…」


自前の白い絹手袋をはめたリボーンは安物の軍手をはめた俺と最後の電球交換に取りかかっていた。リビングも廊下も風呂場も蛍光灯や電球を取り替えるのは全部俺で、最後の玄関にいたってもリボーンは近くに立って様子を見ているだけだった。それに異議を唱えることを最初から諦めていた俺はかついでいた脚立を降ろして照明の真下にガシャンと開いた。
好き勝手やってるダメ親父が一般家庭に必要以上のバイタリティを持って存在したため、俺の家は工具に事欠いたことがない。だからそのどれもが『業務用』と呼ばれるしっかりした造りのモノで、俺たちが使っているコレなんかは乗っている最中勝手に閉じることがないように閉脚防止ロックまでついている無駄にスグレモノな脚立だった。
俺は脚立の上に乗ってボロボロになった電球のソケット部分に手を伸ばす、しかしあとちょっとのところで手が届かなかった。何の変哲もない2階建ての一軒家なのに俺の家の玄関天井は異様に高い造りになっていたのだ。ここまで天井高くするんなら電球交換用のマジックハンドも一緒に買っておけばいいのに、とひとりごちた。

「こんのっ!……はぁ、駄目だ。俺で届かないんだからお前も無理だよな」
リボーンは下で腕組みしながら俺の奮闘を見届けている。振り返りざまに呟いた俺のぼやきでその時リボーンの目が一瞬だけ険しくなったことに俺は気がつかなかった。俺はやれやれと言葉を続けた。つま先立ちでも手が届きそうにないから俺はもうひと回り大きい脚立を納屋まで取りに行くしかない。
「リボーンちょっと待ってろよ、ひとまわり大きいの取ってくるから」
その俺の言葉は完璧に無視された。
ブラックスーツのパンツに手を突っ込んで傍観していたリボーンが脚立から降りた俺と入れ替わるように、脚立の上へトントンと軽快にのぼる。
何をするんだと振り返った俺はリボーンのとった行為にギョッとした。一番上の平段で対角線上に足を沿えるなり思いきりバランスを後ろへ崩したからだ。驚いた俺はリボーンが脚立から落ちてしまう前に助けようと脚立の足に駆け寄ろうとしたが、リボーンはいたって冷静に対処した──いや、リボーンはわざとやっていた。
脚立はリボーンの絶妙なバランス感覚により生き物のようにゆらりゆらりと前後の角度を保ちながら二本足で立っていた。ポカンとしていると俺の目の前でリボーンがまた故意にバランスを崩す──あっという間だった。
気がつくとリボーンは脚立の足一本だけで玄関先に立っていた。
リボーンは割れたソケットに目を向けて注意深くそれを回し取りながら、足下では脚立の足四本中三本を宙に浮かせている。
リボーンの手がサッと俺の視界に降りてきた。
「さっさと貸せ」
「あ…ああ、お前って運動神経いいんだよな…」
そういえば過去にあった六道骸戦でも初動なしの後方宙返りや、ソフト帽を囮にした瞬発のフェイクを当たり前のようにやっていたことを思い出す。電球を手渡しながら俺は心底感心した。
リボーンは慣れた手つきで最後の電球を締め終えるとタンタンとリズム良く脚立の足を接地させて何事も無かったかのような顔をして俺を見た。
「なに腑抜けた顔してんだお前」
手袋をとりながらリボーンがさも呆れたような顔をみせる。
「いや、だってフツーの奴はできないって…あ、お前殺し屋だったんだっけ……」
改めて俺は目の前の10歳年の離れた子供を見た。
「頭までダメかお前は」
そう言い捨てざまにリボーンは片付けを俺に命令して自分は悠々とリビングへ姿を消した。あざやかな引き際に文句を挟む余地すらない。ひとりとり残されて無機質な沈黙が漂うなか、俺はもう一度うしろの脚立を見た。脚立は相変わらず四足で足場を固定している。ついさっきまでこれが一本の足だけで立っていたのかと思うと、なんだかこの脚立がすごくしっかりした足場に見えてきた。よく見ると脚立の足の太さも、それが接地している面積も普通のものより断然ひろい気がする。



第一、この脚立は休日ですら土木作業着被ってるようなダメ親父が買ってきたもんなんだから──




「………あいつもう来ないよな…?」
リビングをもう一度確認する。
誰も来る気配がないのを十分に確かめてから俺は脚立の上に立ち、さっきリボーンが実演した時と全く同じように角にピッタリ足を沿えると思いっきりバランスを後ろに傾けた。よし!次は前に…!と思った瞬間ガシャーン!ゴンッ!という物凄い音がした。一斉に目の前で沢山の星が飛び交う。俺は見事にひっくり返って仰向けになった反動でそのまま頭部をモロに強打していた。実際一瞬息がとまった。
「(いぃぃ痛ぃッ…てーーー…ッッ!!!)」
叫びたい衝動をとっさにねじ伏せて俺は玄関の前で頭を抱えて右に左にゴロゴロ転がった。ますます激しくなる痛みに反応したのか息まで荒くなる始末だ。俺を振り落とした脚立は素知らぬ顔であるべき四本足で立ちはだかっていた。
そこへイーピンが帰ってきた。
「ツ…ツナさんっ!!?」
母さんから頼まれていたお使いの袋を下げながらイーピンは血相をかえて駆け寄ってきた。そりゃそうだろう、ドアを開けたら見知ったヤツが頭を抑えながら玄関先でのたうちまわっているんだから。イーピンがあせればあせるほど俺は顔から火が出るようなハズカシさを味わい続けた──それは悪意のない拷問だった。イーピンにこの場から離れてもらいたい一心で俺は痛みをこらえてやっとのことで口を開いた。
「…い、イーピンお帰り……も、もういいから…俺のコトは頼むからほっとい…」
「なんだ、出来なかったのか?」
後ろからこれ以上無いと感じるくらい嫌みったらしい声を聞いて俺の全身の毛は悲鳴をあげて逆立った。おそるおそる振り向くと淹れたてのブラックコーヒーを片手にリボーンが廊下の壁に背をもたれていた。
俺と目があった途端そいつはこれみがしにニヤリと嗤った──あいつにとって一番『面白い』ところをしっかり見物していただろう事は間違いない。ぶり返した頭の痛みと恥ずかしさと苦し紛れに俺は力いっぱいどなった。
「ふっ、フツーできねーよ!!お前がおかしーんだよッッ!!!!」
「…本当にそうか?」
そんな俺の怒声もどこ吹く風でリボーンはコーヒーをひとくち美味そうに啜っている。コーヒーの香ばしさと、その薫りを愉しんでいる余裕があからさまに伝わってきただけに俺はかなりむかついた。だが俺が怒りの二の句を告げる前の半呼吸のあいだ、その一瞬をすり抜けてリボーンからイーピンへするどい声が飛んだ。

「イーピン、お前その脚立に乗って一本の足で立ってみろ」

「え!?…う、うん…」
只でさえ事情が飲み込めていないイーピンは、さらに何の脈絡もなく指示されて明らかに戸惑っていた。しかしリボーンと俺ふたりの真剣な視線を感じ取ると持ち前の割りきり早さを発揮した。イーピンは渦中にある脚立の上にのぼった。そして、少し足場を確かめていたかと思うと「よっ」と、まるで餃子をひっくり返す時のような口ぶりでかけ声をかけるといともカンタンに脚立いっぽんあしで立ってしまった。
「できたよ」
「なァッ!!?」
吸う息と吐く息が衝突したような奇妙極まりない声を出して俺は目の前の光景に釘付けになった。でかい中華鍋でいきなり殴られたような衝撃だった。
「…2対1になっちまったな…可哀想に。」
玄関先で片膝をついたリボーンは慈愛に満ちたやさしい黒い瞳をたたえながら、開いた口がふさがらない俺の肩をポンポンと軽く叩いた。頭の遠くでみなもが響くようなあまりに優しい声色に俺は誘われるままリボーンの方をほぼ反射的にかえりみた。リボーンは今までにないくらい心からの笑顔を浮かべていた──しかしよく見ると口元が僅かだがしっかりニヤついていた。
俺がむかつくほど落ちついた様子のリボーンに感化されてイーピンも平常心を取り戻したみたいだった。俺に向けて母性的なほほえみでこんな事を言った。
「ツナさん…よく分からないんですけど、脚立を一本の足で立てなくったってツナさんはツナさんですよ?」
まるでオカシイ奴はオマエのほうだといわんばかりの言いぐさに怒りも忘れて俺はその場に頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。





──居候たちが異常なのか、それとも俺の方が変なのか…俺が満足のいく答えはこの家にいるかぎり出そうにない。