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──充分以上を知らなければ、なにが充分かは分からない。


七月の晴れた日曜日───うすい光彩をのこす虹の向こうでもくもくと入道雲が立ちのぼり、正午には黒々とした影を並盛町全体に灼きつける太陽の夏。奈々に「たまには掃除も手伝いなさい」と納戸部屋を掃除するように言われたツナはすこぶる重い腰を嫌々上げることになった。
部屋のとびらを開くと、彼女がこまめにとっておいた、名前も漢字で書けないくらいダメダメな頃の思い出がぎっしり詰まったダンボールの山が目の前いっぱいに広がって息子は辟易する。片付けも半ばあたりまで進んだころ白いタオルでお揃いのハチマキをして手伝いをしているのか邪魔をしに来たのか分からないランボと一緒にそこで見つけたのは、『小がく二年 さわ田 つなよし』とマジックペンでなぐり書きされた表紙がところどころ黄ばんでいて、年季の入った自由帳。
ふと、パラパラと中を見るでもなく開いてみたツナの目に留まったのは、クレヨンで描かれたクセっ毛で分かる八歳の自分と、そこには居ないはずのカテキョの黒いスーツ姿だった───


油田を掘るための出張という名目で奈々をだまくらかしてイタリアへ行っているダメ親父のかわりに家をきりもりしている母親に早々にバトンタッチして片づけを切り上げる。奈々のことを人間的に好きな居候が多い家なので、ひとり息子が家事手伝いを放棄しようとも手伝う手はまったく減らない。今日はイーピンがぞうきんを持って奈々の後をトコトコついていったり、自分の身長以上ある冷蔵庫をひょいとかついで溜まったホコリを拭き取ったりしている。イーピンのように外見からでは想像もつかないような馬鹿力を持つ人間が多いのは沢田家の特異なところである。
さて、二時ころになると慌ただしい掃除機の音も止んで、どうやら奈々、イーピン、ランボの仲良し三人で夕方の買い物に出かけたらしいことがうかがえた。ツナはやれやれとベッドから起き上がって掃除の時に見つけた小二のころの自由帳を暇つぶしがてらパラパラとめくる。
小学二年。それはダメツナにとって覚えておきたくない記憶がてんこ盛りの頃だった。
五年前にクラスメイトの京子と課題で同じ班になったときに将来の夢を題材にした作文を暴露したが、小二のツナは将来の自分を夢見るあまり巨大ロボになりたいとのたまっていた。もはや人間ですらない理想像に京子は「かわいーっ」とにこにこ笑ってくれはしたものの、ツナは自分の馬鹿さ加減にあきれかえった。
作文発表の場にあっても小学二年はこんな産物ばかり生み出しているのだから、ダメツナに加えてまるきり馬鹿に違いなかった。
今、ツナはそういう生暖かい目で自由帳を眺めている。過去は過去として封印してしまうのが彼なりの長生きの秘訣なのだが、そんな卑下した思考を一時停止させてくるページがどうしても気がかりだった。
───あのページ。
上から下までまるでブラックスーツを着込んでいるように黒ずくめで、オレンジのラインが入った黒い帽子をかぶり、黄色クレヨンの上に緑クレヨンを塗りたくった四つんばいの妙な生物を肩に乗っけている人間がへたくそに描かれているページはどうやら絵日記らしかった。人間それぞれに矢印が引っ張ってあり、黒ずくめの方には『おれの先生』、爆発した髪型に虹の形の目でニコニコしている子供には『おれ』と添え書きされている。間違いなく後者が小学二年生の自分だとツナは思う。そうして隣の人物は…これだけ要素が重なっているなら一人しかいない。リボーンなのだ。
他のページをめくってみると、かーさんが構ってくれなかったから、庭でアリの巣を壊したとかそんなことが書いてあったが、どこにもリボーンの姿はなかった。
もう一度問題のページを凝視する、そしてあるものに気がついた

「日付がある……“七月二十二日”──って、あ、これ今日じゃん…」
「それは事件のニオイだよ、ワトソン君」
「うわっリボーン!…って懐かしいなその格好!」
振り返ってみれば、世界的に有名な名探偵のコスプレをしたリボーンがパイプを横に加えて勉強椅子にふんぞり返っていた。なまじ体つきと顔立ちが整いすぎた美男なので、彼にとってはお遊びのコスプレもこれで飯が食っていけるんじゃないかと勘ぐってしまうくらい板についている。銀行員の制服を着て銀縁眼鏡から射すくめるような視線を覗かせれば業績トップクラスはかたいベテラン行員に見えたし、スキューバダイビングスーツを着せればたちまち海から生まれ出でた男に見える。主人とペットは似るというのが通説だが、リボーンとレオンは似ているどころではなかった。ペットの擬態能力はこの世の生き物とは思えないほど摩訶不思議な進化を遂げているが、コレと定めた職業や人種にアッサリ順応してしまう主人のコスプレクオリティは同じ人間としてツナの目に殊更異常に映るのだ。そのうえ、いつも一緒にいるはずが衣装の出所さえ知らないし、ボンゴレに『リボーン衣装部』なんて部署ががあったほうが納得できてしまうのだが一々衣装を取り寄せているそぶりはまるでない。殺し屋に秘密が多いのは当たり前だが、目の前の家庭教師がニヒルな笑みのむこうに取り込んでいる謎はマリアナ海溝より底知れない。
そんな謎多き男が、一揃いの衣装が入った薄い包装紙を鼻先にひょいとつきつけてくる。
「五年ぶりにツナのなりきりワトソン君セットも用意してあるぞ」
「またオレが助手なのかよ!」
ツッコミどころはそこじゃないだろと思いつつ、暗殺者の狙い澄ましたボケがピンポイントにツボをごり押してくるものだから到底抗えない。最早ツッコむポイントまで綿密に計られている気がしないでもないツナであった。
「目測で採寸済みだぞ。これを着たら京子とのデートをセッティングしてやる」
「う……………」
目先の欲望に忠実な性質のため、熟慮のすえに刻まれたようなしわをこめかみに寄せても結局その助手の衣装を受け取ってしまうのだった。


───それからしばらくして。
暑い夏日の一室で、ひと昔前の紳士が着たであろう小洒落たスーツに身を包んだ青年二人が小学生の自由帳をはさんで顔をつきあわせる珍妙な図ができあがっていた。

「…やっぱりこの絵のこいつ、リボーンに見えて仕方ないんだけど」
お決まりのスーツ姿と、黒クレヨンで描かれた真っ黒な人間を比べてツナはそう結論づけた。しばらく考えているような顔をしていたリボーンは自由帳に視線を落としたまま「ツナ」と生徒の名を呼び、続けざまにこう言った。
「ちょっと十年前に行ってみない?」
「なんで俺が行かなきゃなんないんだよ!」
「何言ってんだ、足で稼ぐのが助手の醍醐味だろーが」
それにな、と事件の核心を握ったような顔で自称名探偵は悪びれもせず言い切った。
「ここに八歳のツナが来ねーと今のてめーの過去と辻褄が合わねぇ。今てきとーに流したらこれから先ツナの未来がおかしくなっちまうんだぞ。そのノートを見つけたのが運の尽きだと思え」
「そんなマンガみたいな展開があってたまるか!」
けれども哀しいかな、一般人で一生を終えたいと願う彼の実体験はどれを取り上げてみても庶民と一線を画した漫画のような日常である。
「最近刺激が少なかったからな、オレもこっちの時代でガキのツナに付き合ってやるぞ。きっちりノートに同じモンを描かせてやるから安心して行ってこい」
そしていつの間にか彼の利き腕には十年バズーカが握られていた。
「この前ジャンニーニが来たときに作らせた特製改悪バズーカだ。十年前に行けるんだぞ」
途端にツナは冗談じゃないぞと理不尽な展開に青ざめた。
「お、俺が今行ったって十年前の俺がこのノート持って来るとは限らないだろッ!」
「愚問だな、今ガキのツナがノートを持ってねぇならその絵は初めっから存在しねーハズなんだぞ」
タイムパラドックスの問題を目の前にしても実に柔軟性のある男である。とにかくだ、とさっさと説明を切り上げるなり、時間の矛盾を言い返せないでいる十八歳のツナに古びた自由帳を押しつける。
「そいつは邪魔だから持ってけ」
「ちょ…ちょっと待てって!こんな馬鹿な格好で十年前に行って恥さらしたくないよ!」
「流石オレの生徒だな。───似合ってるぞ、ワトソン君」
「嬉しくねぇよ!てか問題は服じゃなくて…っ」
リボーンが構えているものを怒り心頭にわなわなと震える右手で指さす。

「改悪バズーカを向けるなこのコスプレ中毒者ーッ!」

どかん、という住宅地にあるまじき凄まじい爆発音が響いて十八歳のツナは絶叫と共にかき消えた。モクモクとあたりに煙がたちこめる。しばらくして視界が晴れてくると、そのモヤの中でツナよりも小さな人影がごそごそと動いた。
コホコホと咳き込みながら小さな影がはい出てくる。目の前の妙な格好の男を見るや否やひっ、と小さく息を吸いこんで金縛りに遭いでもしたかのようにカチンと固まってしまった。ツナの胸元にはあの自由帳が真新しいまま小さな両手でしっかり抱きしめられている。

「え、えと……だ…だれ……?」
「チャオっす。十年前のツナ」
物騒なバズーカを右肩にかかげながら、ちょっと鳥打帽を取ってリボーンは紳士のように挨拶をした。