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「……りぼーん?へぇーっ、リボーンっていうの?」
「そうだぞ」
おちょくり甲斐のある助手が十年前に行ってしまった今、名探偵の格好をしてもムダなのでとりあえずいつものブラックスーツに袖を通したカテキョは十年前のツナに簡単な自己紹介をした。細かいことだが、ジャンニーニが改悪した十年前バズーカは五分どころでは元に戻らない。それは獄寺の時に実証済みであったので、リボーンは特に時間を気にせずのんびりやることにした。ベッドへ尊大に腰かけて腕組みをし、小さくなったダメツナをしげしげと観察するその姿は自らの引き金で十年前にぶっ飛ばした不幸な青年の安否など毛ほども気に留めていない様子である。
一方、ツナは子供特有のやわらかい体をもてあますように内股になったままぺたんと床に座っている。よっぽどこの場が不安なのか、ずっと自由帳を両腕に抱いてはなさない。
だが、そんな様子とはうってかわって表情は好奇心にくすぐられて堪らないといった具合に熱い視線をリボーンに向けている。どうやら自由帳を離さないのは警戒しているからではなく、単純にそこまで気が回らないのが真相らしかった。
それにしても八歳のツナはよく喋った。そのほころんだ顔からは後ろ向きな感情はまったく読み取れず、十八歳の厭世的な顔をした青年とは別人のようだ。しかし、リボーンはさほど気にとめてはいないようでツナの質問に的確に答えてやっていた。
「リボーン?うそだーっ。…本当の本当にリボーンなの?ウソついたら針千本のむんだってかーさんが言ってたよ。それぜったい痛いんだよ。やめときなよ」
「嘘じゃねぇ」
「……ほんとにリボーンっていうの?」
「何度も言わせんな」
「だって、髪も目も真っ黒なのに名前が外国の人なのっておかしいよ」
「オレはジャポネーゼじゃねーからな」
「じゃぼねーぜ?」
「日本人じゃねぇってことだ」
「ふーん……でもヘンな名前。おれが今やってるゲームのラスボスみたい」
「……犬将軍のてめーに言われたくねーぞ」
言いたい放題言われてもヒットマンがツナを蹴り飛ばさないのは勢いあまって本当に殺しそうだからである。十八歳ならいくらボコろうがシメようがある程度まで加害者の感情の赴くままに勝手ができるが、目の前で憎たらしい口をきくツナは鍛えられることをまだ知らない上に身体もぺらぺら小粒のような八歳の小僧である。今ツナが不慮の事故に見舞われたらたちまち時の結び目も変わってしまい、それなりに苦労して鍛えた十年後の彼がこの世界に戻ってこられない可能性がある。
“再教育”か“更正”か。
それを一瞬で天秤にかけて苦虫をかみつぶしたような心境でリボーンは鬱憤の矛先を『我慢』という名の薄っぺらいオブラートにくるめた。
そんなカテキョの心くばりも露知らず、目をかがやかせた子供の興味は青天井である。
「リボーンは何で十年後のおれん家にいるの?」
実感が湧かないからであろう、子供のツナは自分が十年後に来てしまった事情よりも、リボーンが部屋に居る事情を知りたがった。
「九代目との契約でお前の家庭教師をしてる」
「きゅうだいめ…?リボーンはおれの先生なの?けいやくってなに?」
「お前をイタリアンマフィア一のボスにするってことだ。それまでオレはここでツナのママンの世話になってる」
途端にツナはきょろきょろと辺りを見回す。馴染みがあるはずの自分の部屋だがどうも勝手が違うと思っているようだった。
「リボーン、ここ、おれの部屋だよね?」
「十年後のお前の部屋だ。オレは住みこみでツナを鍛えてんだぞ」
「えーっ、おれダメツナだからすごい時間かかるよ?それってすっごく大変だと思うよ」
「お前にそれを言われる日が来るとは俺も思わなかったぞ」
「おれなんかにできるのかなー。あんな超強そうな顔なんかできないよー」
「……ラスボスじゃねぇ、マフィアの『ボス』だ」
そろそろキリがないと思い、目的にしぼって話をきりかえす。
「──ツナ、お前さっきまで何やってたんだ?」
「ん、…これにお絵かきしてたの」
「見せろ」
「え…やだよ。はずかしいもん…」
ここで機嫌を損ねては元も子もないのでリボーンは僅かに考え、提案した。
「見せてくれたら礼におもしれーモン見せてやるぞ」
「どんなの?」
「お前が見たことねーような綺麗なヤツだ」
「ほんと?本当にそんなの見せてくれるの?」
「約束は守るぞ」
ぱっ、とツナの目がいっそう輝いて頬がみるみる紅潮した。ちょっと躊躇って、おずおずと自由帳をさし出す。
「う、うん。いいよ」
軽く礼をのべてそれを受け取り、問題のページをひらいてみる。やはり何も描かれてはおらず真っ白な紙の色がのっぺりと広がるばかりだった。
「グラッツィエ。ツナ」
「もういいの?」
「ああ、確認は済んだからな。さて、オレの番だな──」
ふと、リボーンが窓を見やると太陽がそろそろと傾いていて、赤く染まり始めていた。
並盛中と同じくらいはなれている小学校から思考に染みいるような古めかしい楽曲が夕暮れのしめった涼やかな空気をつたって聞こえてくる。日本人ではないリボーンにとってそれは懐かしさを感じるものではなかったが、そのメロディは今にかぎってなぜか物寂しく遠く感じた。
「ツナ、その前にひとつ聞いていーか」
「うん。いいよ!」

「──本当は何してたんだ?」

「え…」
虚を突かれたようにツナは押し黙った。先程までのやんちゃな余裕とか遊び心とかいったものをまるきり取られてしまった表情がひょうと浮きでる。口をひとえにむすんで、次に何を喉から絞りだせばよいのか、あれこれと考えすぎる大人のように一生懸命考えているふうに見えた。
ツナの様子が変わってしまった。それでも、ただの確認だぞ、と暗に伝えるかのようにリボーンは淡々と話しかける。──そうつとめている。
「さっきまで目が赤かった。ここに来るまで泣いてた証拠だ」
「な、泣いてなんか…っ」
「……なるほどな、家光がまた居なくなったか」
「!…なんで分かるの…?」
「お前が落ちついたからな。──やっと読めるようになった」
リボーンの返答がのみこめず呆気にとられたような顔をしていたが、彼の見透かすような瞳に凝とみつめられるとたちまち堪らなくなって、顔を曇らせてツナはぽつぽつと蚊の鳴くような声をだした。
「…………おれのとーさん…よくわかんないけど…でっかい仕事してるんだって。それでおれとかーさん置いてすぐどっかにいっちゃうんだ……でも出かけていっちゃう時のとーさんいつもいつもすっごく楽しそうなんだ…………だからきっととーさんはおれなんかいらないんだ……だって…おれ、ダメツナだし………」
部屋の中がしぃんと静まりかえった。それを予期していたかのようにツナは何も言わず黙りこくる。
目をつぶって下を向いたとき、かさり、かさりと紙がこすれるような音が耳に届いた。恐る恐るうかがってみると、ごつごつしたエメラルドグリーンの生き物がきょろきょろさせた目でツナを不安そうに見上げていた。そいつがぺちっとツナの膝に手を置いてきたので慌ててその場から飛び退く。するとその生き物───レオンは少しかなしそうに尻尾を下向きにくるんと逆巻きしてリボーンの元に体をゆらしながら戻っていった。リボーンは特に変わった様子もなく、すりついてきたレオンを片膝に乗せて頭をゆっくりなでている。
まさに不思議なものを見たような瞳をしてツナはまじまじとリボーンをあおぎ見た。
「──怒らないの?」
「何がだ」
「おれがダメツナで。…だっておれの先生でしょ?おれがおれをダメツナって言うとガッコの先生はみんなすごく怒るよ?」
「オレは超一流の家庭教師だからな。そんなもん気にしねぇ」
「ほんとに?」
「本当だぞ。それにツナはダメツナじゃねーと五年後の俺が張り合いねーからな」
目をぱちくりと瞬かせて、ツナはその言葉に随分驚いたようだった。おもむろに主人の膝からテーブルへのそのそと渡るペットの物音が耳にはいってくると、ポカンとしていた自分に気恥ずかしさを覚えてしまい、鼻をすすってごまかした。その間にいよいよ近くにやってきたカメレオンを大人しそうだと思い到り、おっかなびっくり触ってみる。ツナの指が触れてくるとレオンはつぶらな瞳を細めて体の力を抜き、満足そうに腹ばいになった。あまりのダラけようにつられてツナは小さく吹きだした。
「大人しいね、こいつ」
「ああ、オレの相棒のレオンだ」
「あいぼう?」
「平たく言えば友達ってやつだな」
「友達……」
途端にまた黙りこむ。その理由が分からないはずのないリボーンだが、ツナを構うことはせずベッドから腰を上げると、慣れた手つきで鍵をはじいてカラカラと乾いた音をさせながら窓を全開にした。
「やっと日が暮れたな──ツナ、約束だ」
「え?」
「明かりを消してみろ」
「う、うん…!」
ツナが立ち上がって壁ぎわで背伸びをすると、パチンと小気味良い音をのこして明かりが消えた。フチのくたびれたノート一冊と、色とりどりのワクワクした気持ちを小さな胸に抱えてぱっ、とふりかえる。

その時のくらやみは普段よりすこし綺麗で、夕闇に降り始めたうすい月光がノートを束ねる銀色のリングに少量の砂金をまぶしていた。外からわずかな冷光を借りた部屋を見回すと、月を配した額の手まえにうすぼんやりとした黒い輪郭が浮きあがった。それがスウッと息のんで、鋭く空気をはき出す。空間をほそい針で突き抜くような透きとおった音がいっしゅんだけ部屋を満たし───消えた。
それが不思議な光景のはじまりだった。

「う…わぁ……」

つめたいとも、あたたかいとも知れない不思議なエメラルドの光がくねくねと曲折しながらひとつふたつと窓からこちらへ入ってくる。水々しい灯を含んだ燐灰石の小さな粒が、淡緑色のなめらかな帯をひいてフラフラと漂いおどる。ツナの小指のつめ程しかない光がみっつ、よっつと増えてゆくと、たちまちそれは数えきれなくなって鳶色の瞳に満天の星をひろげる輝きになった。簡易でも頑丈なパイプのベッド、使いふるされてニスが沈降した学習机、天井までそびえ立つ闇色にくすんだ本棚───そのうえで、まわりで、星くずを撒いたかのようにあちこちで、ほうっ、ほうっと淡い光が浮かんだり沈んだりを繰りかえす。
光が光を呼びあっていつまでも飛び交うなか、ベッドのポールに止まっているひとつの灯りを見つけると、いても立っても居られずそーっとすり足で近寄ってみる。よくよく見るとそれは小さな、ともすると簡単に無くなってしまいそうに脆く、けれど目が奪われるほど綺麗な光芒をたずさえた虫だった。
更に近くに寄って目をこらすと、ツナは突然びっくりするような匂いを嗅いだ。塩ひと粒大くらいの黒い目がようやく見えたと思ったとたん、大好きなスイカのにおいがツナの鼻さきをフワッとかすめてきたのだ。あわてて窓際へふりかえり、興奮した面持ちでリボーンの得意気な顔を見つめた。
「ねぇリボーンっ!これなんて言うの?」
「ホタルだ。となりの黒曜町にはまだ住める池や水田があるからな、呼んでおいた」
「へぇーっ、もしかしてこんなにいっぱいリボーンの友達なの?」
「こいつらは子分だ。高い情報収集能力はマフィアのステータスなんだぞ」
すっと伸びて幹のように見目形のいい腕にホタルを何匹かとまらせてやりながら、虫使いのヒットマンは答える。ソフト帽にも数匹のホタルがとまっていて、あえて彼の呼吸に合わせているかのように、静かでゆっくりとした明滅をくりかえしていた。
「でも子分なのに仲いいんだね」
「まーな」
「いいなぁー…」
宙をスイスイと泳ぐ夏の虫を体育座りをしながら眺めるツナは、家庭教師の人脈のひろさを心の底から羨ましがった。
余談だが、彼が顎でつかえる生物を総数で数えてみると圧倒的に人でない子分の割合が高いが、虫語を解し、それらを総統できるのは何でもござれのアルコバレーノのなかでも黄色の虹だけの成せるワザであった。

いくらか時間が経つと、ひときわ高い音階の口笛がふたたび鳴らされ、それを合図にひとつ、またひとつとホタルは夜空へ出て黒曜町のほうへ向かいはじめる。数が目に見えて減ってくると名残惜しい気がしてたまらなかったが、あらかじめカテキョから捕まえることを注意されていたのでツナはぐっとこらえて見送った。そして最後の一匹がレオンの小ぶりな頭からふわっと離れて闇に紛れてしまうと、黒づくめの先生は部屋のあかりをつけてひと言「えらいぞ」というので、ツナは何だかこそばゆくなった。照れ隠しに小さな口が勝手をして喋りだす。
「リボーンはずっとおれの先生なの?」
「契約が満了しない限りはな。」
「まんりょう?」
「約束が終わるまではここに居るってことだ」
「本当に?リボーンは約束が終わるまでおれだけの先生なの?」
「そうだぞ。五年後からはイヤでもダメツナ卒業させてやるから覚悟しとけ」
「ううん。あんなに凄いリボーンがおれん家に居てくれるなんて夢みたい!」
するとリボーンは少し驚いた風に目をしばたたいた後、目を細めてさも意地わるく「五年後の手前に聞かせてやりてーな」と言って音もなく笑った。
その笑顔をみて、先生ときっとずいぶん仲良くなれたのだと強く感じたツナは、フと弱くすがるような呟きをもらした。
「リボーン、おれ…ずっとここに居たい。五年後なんてずっと先だよ…今からおれの先生になってよ…」
「できねーな」
厳しい声色で間をおかずに返された拒絶の言葉を信じたくなくてリボーンを見つめる。正面から自分の目を捉えてきた黒い目はけっして揺らぐことがなく、彼が、口から紡ぎだす言葉を間違おうはずが無いことをツナは肌で感じた。だが、理性と感情は必ずしも一致しないものである。それが子供ならば尚更──やっきになってまくし立てる。
「どうして!おれだってリボーンと約束したいよ!約束すればずっと居てくれるって言ったのはリボーンじゃないか!未来のおれとは約束してくれて今のおれとは約束してくれないなんてひどいよ!」
「ガキらしい手前勝手な理屈だな。オレの都合は無視してる」
「──っ!」
五年前に生徒の都合を屁とも思わなかったワンマン教師がのうのうと自分の都合を主張する。その板についた不遜気な表情は、かりそめに少年のものであっても中身は立派に汚い大人である。しかしツナにはそれを指摘し、言い返すほどの機転を利かせる余裕など元から無く、ただ俯いて黙りこくることしか出来なかった。

ここで幾らダメな根拠を聞かせようが、ツナが応酬し、堂々巡りになる展開がみえたので、リボーンはわざと話をおわりに向けた。
「ダメツナはすぐ忘れるからな──オレのこともすぐ忘れるから気にすんな」
先程とは雰囲気が異なった綺麗な顔のうえに人を食ったような顔色をあらわにしてリボーンはニッと笑った。するとどうしたことか、怒るというよりも、悔しそうな色をした両の瞳にぶつかった。
「忘れるもんか…だってリボーンはおれの先生なんだもん…!」
今までリボーンの言葉をそのまま受け容れてきたツナだったが、初めてそれに歯向かうと弾かれたように自由帳をひらき、ポケットに手をつっこんで裸のクレヨンを掴みだし、慣れない持ち方でギュッと握った。リボーンはそれきり沈黙を通して静かに見守った。
(───こういう事か。)
全世界の虫を操れて知らぬ事の方が少ない男の目にも、その光景は好奇に映った。数時間前に線の一本一本まで記憶してきたあの絵と、八歳のツナがクレヨンをごりごりと押しつけて懸命に描きなぐっているいるモノがまったく同じなのだ。
半ばを描き上げたあたりで、おしころした嗚咽が聞こえてくる。リボーンが別れを告げたわけでもないのに、元々備わっている超直感がそうさせるのかツナはしきりに泣いていた。(却って、これで家庭教師は別れが近いことを知った。)
幼い生徒のありったけ込めた純粋な感情がカテキョの脳裏にひびく。声にならない声のすべてを聞き取って、リボーンは自由帳に出来上がっていくあの絵を見た。そこの『ツナ』は、はじめ見たときよりも少しだけさみしそうに感じた。
すべての線がリボーンの記憶と合致したとき、ツナはクレヨンを握ったまま自由帳をひっ掴み、耳たぶとほっぺたを夕焼けよりも真っ赤にさせてぶるぶると肩をふるわせた。

(…忘れないよ…だから…───)

悔しくて悲しくてどうにもできない気持ちを振り遣るようにつづく言葉を伝えようとしたその刹那、ツナは煙の向こうへ自由帳共々かき消えてしまった。