ことわりも申し訳程度に部屋へ飛びこんできた忙(せわ)しない様子を見留めると、ふいにおそってきた嫌な予感にぞわりと身が震えた。ボンゴレ諜報部に所属している冷静な部下はいつもの落ち着きをなくしている。
「十代目──」
いやだ、ききたくない。──そう思ってもなけなしの鉄面皮は十代目の堂々とした表情を崩すことはない。落ち着きはらった視線でつづきをうながした。
「リボーン様との交信が、通信最中に途絶えました」
*
時間はもう真夜中だというのに眠れない。
寝返りをうったり枕の位置を動かしても気の焦りを消しさることはできないのに、俺は眠ろうとする努力をばかみたいにつづけるしかなかった。
昼間に報告を受けたあと、部下をさがらせて一人きりになっても取り乱すことはしなかった。けれどいれかわりに入ってきた獄寺君にうすく青ざめた顔を見られたそれから逃げるように、今日するはずだった仕事の半分を明日にまわして俺はベッドへむかった。
報告内容の確実性を伝えるためだろう諜報部の部下は小さなレコーダーを持っていた。それを執務机に差し出すとおもむろに再生ボタンを押し、イタリアの僻地にある黒いマフィアの屋敷で任務を遂行した直後のリボーンとのやりとりだという説明が重々しく部下の口からもれる。
この仕事を彼に任せたのは俺だったからよく覚えている。できるかぎりの少数精鋭で屋敷を急襲してファミリーを殲滅する手筈だ。黒いマフィアと関係のない民家が近くに点在していたことを考慮にいれて、ことを荒立てたくなかったからリボーンひとりを屋敷に向かわせた。
表情が硬いままの部下を視界の端にいれながら、心許ない気分を紛らわすように指を組んでざわつく心を内々におしこめながら音の再生が始まるのを待った。機械を通して少しだけ無機質になったあいつの声が耳に落ちてひろがる。
(──終わった。これから本部に戻る)
(お疲れ様でした。迎えを手配します)
(いや、必要ない。それよりもすぐにこの屋敷の浄化にあたれ)
(は。)
(危険は除いたがイヤな空気の澱みは消えねぇらしい。経験の浅いヤツは寄越すな)
(かしこまりました。S班を向かわせます)
(そうしろ。どうも様子がおかしい、用心深くなるに超したことはない──オレもやはり少し調べてから戻る)
(はっ。お気をつけて)
(ああ、ツナにも報告しておけよ。ダメツナでもあいつは一応ボンゴレボスだからな)
(リボーン様の御尽力の賜物ですね。綱吉さまは我々の誇りです)
(あいつには随分苦労させられた。十年分以上これから働いてもらわねぇと割に合わねぇ)
(フリーランスを廃業なさったのもそれを確かめる為で?)
(当たり前だ。他になにがある)
(いえ、出すぎたことを申し上げました。御安着を一同お待ちしております)
(──待て。)
(どうかされましたか?)
(…あれは何だ──)
ここで交信が途絶えたというのだ。
途切れた彼の声をまた拾うことは出来ず、何度再通信を試みてもまるで通信機ごと破壊されてしまったかの様にふっつりと衛生レーダーから消失したらしい。
そして今、ボンゴレ直属の精鋭が最優先事項でリボーンの生存を確かめるべく問題の屋敷に向かっている。ボンゴレの人間が到着するのはあと三十分後。一刻の猶予もままならないというのに俺はだまってベッドに潜り込み耳を塞いであいつの声を反芻することしかできなかった。
あいつが居なければ何も出来ない、いつまで経ってもダメツナの姿に嫌気が差す。
「一体何なんだよ…何を見たんだ……おまえ…」
立派すぎるベッドに身をうずめても口から零れるのは不安だけ。ボンゴレを背負って立てるような男なんてこの部屋には居やしなかった。
*
内線がはいったことを知らせる音に体を跳ね上げるとサイドボードに置かれた通信機の受話器を耳に押し当てた。
十代目───。
堅苦しいのはいい、リボーンは無事なのか?
御無事です。屋敷内で合流したとS班の者から報告がありました。
ケガは。
ありません。
リボーンは何か言っていたか?
直に話さなければならない事ができた、と十代目に伝えるように仰せつかりました。
直接か?…わかった。俺も報告を聞きたい。ここへ着いたらすぐに俺の部屋に来させてくれ。
かしこまりました。
頼む。
矢継ぎ早のやりとりを終えるとベッドへ仰向けに倒れこんだ。
リボーンは、無事───。待ち望んでいた言葉に事実が伴えば安堵感よりもめまいがするほどの強い疲労感におそわれた。現金な自分をわらいながら一度深い深呼吸をすると受話器を固く握りしめたままだったことに気がついてさらに苦笑いがこぼれた。
冷たくなった手をふりやり身を起こして伸びをする。
あいつがここへ戻ってくるという今、屋敷で見たという「何か」の正体を知るよりも、見目を重要視する元家庭教師にならって寝間着からスーツに着替えておく方が俺には重要だった。
「帰ったぞ」
「ご苦労様、リボーン」
いつもながらノックもせずに入ってきたリボーンの姿を確認して、俺はようやく最後の不安のかけらを払拭した。十年を経て俺の背丈をやすやす通り越し逞しく成長した彼の仕草ひとつひとつを目で追う。入って五、六歩のところにある大ぶりな応接ソファの真ん中に我が物顔で脚を組んで座り、それからぬいだソフト帽を脇にふせる。よかった。いつものリボーンだ。
大丈夫だったか、という労いの言葉をかけるのはやめた。リボーンの自尊心は俺では及びつかないほど高いから少しでも気に障るようなことを言ってしまうと忽ち不機嫌になるのだ。自然と言葉数も少なくなるのは常だった。
「俺に直接伝えたいことがあるって」
「ああ」
「屋敷でのことか?」
リボーンはそっけなく返事をした。
「いや、違う」
「…え?」
予想外の返事をされて二の句を告げることができず呆気にとられた俺を見てもリボーンは澄ました顔を変えるようすはない。
「違うって…だって、お前……屋敷で何かあったんだろ?だから俺んところに報告しに来たんだろ?」
「オレが言いたいことってのは一週間後のセレモニーでテメーを護衛する面子のことだぞ」
「………」
不自然なまでに驚く俺にリボーンは眉をひそめて訝しんだ。
「おい、誤解した根拠はなんだ?」
「リボーンこそ何言って……通信員との交信をいきなり切ったのお前だろ?」
「………」
「あれはなんだ、ってさいごに言ってたじゃないか」
「………オレはそんなことひとことも言ってねーぞ」
「へ?」
「粗方かたづいたあと本部に連絡は入れた。それは確かだ。だがそんなことは言ってねーし、妙なモンを見た覚えもねぇ。だいいち通信を切ったのはお前らのほうだろうが」
話がまったくかみ合ってくれなかった。
「脳味噌にダメ菌でも涌いたか?昨日今日のことも忘れるアホだったとはオレも予想外だぞ」
このままだとダメに続いて不名誉なレッテルを貼られそうだったので俺は焦る。
「ちょ、ちょっと待てよ……そうだ、お前の声がレコーダーに録音されてるんだ。それを聞いてくれよ」
「ツナ、…往生際が悪ぃぞ。」
「本当なんだって!」
「そういや、そろそろ春だもんな」
「俺はおかしくないっ!」
リボーンが嘘をつく理由はまったく見当つかないけれど確かな証拠をみせればと思い諜報部へ内線を入れた。部下にいそいで持ってこさせた問題のレコーダーを受けとると、リボーンと向かい合わせに座った応接ソファで再生する。
肝を冷やしたあの声が聞こえるはずだ。
(──終わった。これから本部に戻る)
(お疲れ様でした。迎えを手配します)
(いや、必要ない。それよりもすぐにこの屋敷の浄化にあたれ)
(は。)
(危険は除いたがイヤな空気の澱みは消えねぇらしい。経験の浅いヤツは寄越すな)
(かしこまりました。S班を向かわせます)
(そうしろ。どうも様子がおかしい、用心深くなるに超したことはない──オレもやはり少し調べてから戻る)
(はっ。お気をつけて)
(ああ、ツナにも報告しておけよ。ダメツナでもあいつは一応ボンゴレボスだからな)
(リボーン様の御尽力の賜物ですね。綱吉さまは我々の誇りです)
(あいつには随分苦労させられた。十年分以上これから働いてもらわねぇと割に合わねぇ)
(フリーランスを廃業なさったのもそれを確かめる為で?)
(当たり前だ。他になにがある)
(いえ、出すぎたことを申し上げました。御安着を一同お待ちして…)
プツッ…………ザァ───…
俺が間違いなく聞いたはずのリボーンの声より前の所で交信記録が終わっている。
「白昼夢でも見たんじゃねーか?あのときもココで切れたんだぞ」
「うそ…」
どれだけ待ってもレコーダーからは強い雨音のようなノイズ音がうつろに響くだけだった。
「だって俺が聞いたときは確かに…確かに、お前の声だった。十年以上もちかくで聞いてきた声なんだ。間違える訳がないよ」
「…おい」
「本当なんだ。そうだ、これをはじめに持ってきてくれた部下に証言させて───」
「ツナ」
ぴしゃりと叩き伏せるような強い言葉尻に弾かれて顔を上げる。真剣をともなう表情のない顔に正面から見詰められた。
「今日は休め。元家庭教師として忠告してやる」
「なっ…俺は充分休んでたよ!そんな変な目で見るなよ!」
「聞けるモンもてめーがそんな状態じゃ埒が明かねぇ、明日にまわせ。俺もまた明日顔を出す───それで問題ねぇな?」
「…………ああ」
異議を許さない声に気圧されて俺はソファから立ち上がった。ひと月ぶりにリボーンに会えたというのに、気分を悪くして部屋を出て行かなければならない自分がいやだった。