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五月五日。
ニッポンのゴールデンウィークの最終日にあたる祝日はこどもの日である。


サマータイム制度で一時間短くなった七時間プラス十二時間前、ツナはボンゴレ本部に宛がわれたボス部屋で山積みの書類と格闘していた。
まる二日間貫徹だ。いい加減投げ出したくなる。
だが、執務机にナメクジのようにへばり続けてもなかなか終わる様子を見せてくれない仕事量を自分に振ってきた右腕は常時この三倍の仕事をこなしているらしいことを聞いてしまうと何も言えない。そこら辺の羞恥心を人一倍備えているツナは頭を掻きむしりながらも椅子から尻を上げることはとうとう出来ずに愚痴をボソボソ零していた。あまり建設的でないストレス発散法もそろそろ限界だったので伸びをしようとしたところで案の定、体が固まりすぎていて椅子ごとひっくり返った。
ゴン、と強かに後頭部を打つ音が頭の中めいいっぱいに響く。自分のダメっぷりを呪うより先に視界がぶっつりとブラックアウトした。


つぎの瞬間、グオーッという地響きの音が頭を揺さぶり、冷凍庫の中におしこめられたような肌寒さにギョッとして飛び起きた。
自分はリクライニング付きの幅広な革張り椅子に腰掛けている。しかしその椅子から転げ落ちて気絶したのだったと思い出した。
注意して見るとこの椅子には肌触りこそ似ているものの普段には無かったシートベルトがついている。記憶と状況が一致しない不自然さに周りを見渡す。高そうな絵が飾ってあった白塗りの壁の代わりに等間隔に円い小窓が並んでいて、正面には顔の大きさ程もある液晶ディスプレイが世界地図の上で航路らしきものを示していた。現在地と思しき位置に飛行機の形をしたピクトグラムが点滅している。

ボンゴレを背負って立つ立場になり、怒濤のように多忙な日々を送っているイタリアマフィア社会人である二十五歳のツナは飛行機の中にいた。
よくよくモニターに目を向けると、フライトの先は日本であることが知れる。
理由はツナ自身にだって分からない。
「ボスがキョロキョロするんじゃねーぞ」
「だ、だって──っておい! リボーン!」
淡々としたその口調は十年以上聞き慣れていたせいで危うく聞き流すところだった。
「俺なんで飛行機の中にいるんだよ!」
「乗ってるからだろ」
隣の椅子に腰掛けながら涼しげにエスプレッソのカップに口つけているリボーンはしれっと答えた。
「お前…また何か妙なこと企んでるだろ…」
「べーつにー。」
ジト目で睨みつけてもリボーンは目を落とした新聞から顔をあげる素振りを見せず、ツナの疑心は深まるばかりだ。
身長が遂に望みのラインまで伸びることのなかったツナを尻目にリボーンはぐんぐん背を伸ばし、あっという間にツナを見下ろすようになっていた。だが悔しくはなかった。リボーンは将来絶対身長高くなるだろうな、俺なんかすぐ追い抜かされるんだろうな、という意味でそれなりの覚悟はあったし、むしろチビの俺なんか抜かれて当然だと思っていた。
イタリアの生え抜きリボーンと、島国日本という小さな括りですらチビの部類に入ってしまう自分など比べるべくもない。
身長の問題はまだ許容範囲だった。
だが年齢までカテキョの方が上らしい、ということを知ってツナは焦った。
今まで年上に対しての物言いではなかった自分の態度は相手の容赦ない家庭教師内暴力によってチャラにするとしても何か焦る。実際はいくつ歳が離れているのか知らないが、真実を明かされる機会もとんと無く十年ちょっとを過ごしてきてしまったので今更聞くのも妙な気がする。それに今から目上っぽい奴に対してそれ相応にあわせて口調を変えたとしても当事者からの返答は気持ち悪いんだよバカツナ、の一蹴に遭うだけだと確信があった。
結局、リボーンはある一定の歳まで到達すると何かの拍子にゼロ歳にリセットされるんじゃないかと、まるで漫画のような超理論で自分を納得させたのだ。
そいういえば名前もそんな感じだし。
体は新品、記憶だけ背負って生きてる火の鳥的なキャラでいいんじゃないだろうか。何十億年もある地球の歴史のすみっこにそんな人間が一人くらいぽこっと居てもおかしくない気がしたのでツナはそれ以上歳の問題に関してとやかく考えるのを止めていた。生来諦めの早いダメツナならではの結論である。
それからリボーンの企み通りに十代目を就任してしまい、二十二歳か二十三歳の頃に渡伊してマフィアの仕事に明け暮れる毎日だったが超多忙な毎日をしてダメツナが遁走しなかったのはのっぴきならない事情があった。
友達をほうっておけない性質(タチ)と責任感は自分の心にしっかりと根付いているものだが、それと同じくらいのレベルで最強のヒットマンに対して自覚してしまった感情というのがやっかいだ。

その名もずばり恋愛感情。

呼び水は何だと思い返せば一役買ったのが「吊り橋効果」である事は明らかだった。原因の一端に気がついていてもボス業をしている手前吊り橋効果が表れない状況で生活する事のほうが難しい。
第一、自分のもとを離れたリボーンをふたたび呼び寄せたのはツナ自身なのである。

大なり小なりケンカっ早い守護者たちに囲まれているとイクスグローブを両手に填めて抗争のど真ん中に立っていることもまま多い。
自分の役割はほとんど仲裁なのだが、そういう中立の立場を守っている自分に対しても鉛玉は容赦なく飛んでくる為に自己防衛をしつつ仲裁の手を入れなければならない。防御しながらの介入は時間を食うことこの上ないし疲労から手を休めればそれだけ負傷者が目に見えて多くなることに参ってしまった。痛みを被ることに慣れきっているボスは幾つになっても他の人が辛い目にあっていることは見過ごせないのだった。そこでピンと閃いたツナの頭には不敵な笑みを浮かべる家庭教師の顔が浮かんだのだが、十代目就任を契機にボンゴレ組織から離脱したリボーンを探し出せるのかという不安がよぎる。
ところが彼の所在はその三日後にあっけなく割れた。
通報者は沢田家に暮らす自分の母親で、聞けばいっちょまえになった息子に満足して隠居生活を始めた家光のとなりで夕飯を食っているという。
ツッ君ちゃんと食べてる? お勤め先に日持ちするお総菜作って送ったんだけどちゃんと届いたかしら? ──かかってきた電話の用件にごっそりと険を削がれたまま、仕事が今大変でリボーンに手伝って欲しいのだということを切り出せばあらまぁ。とのマイペースな返事をかえされた。
ちょっと待ってねリボーン君に聞いてあげる、そう取次がれて暫し待つどころか十秒も経たずに、手伝ってくれるって。という確約を母親の口から聞いたときツナは耳を疑った。そしてややあって納得した。
野郎からの頼みはすげなくあしらっても奈々からのお願いをリボーンが断るいわれはないのである。


翌日は祝日で惰眠を貪っているところをリボーンに蹴り飛ばされベッドから転げ落ちて目が覚めた。
朝飯をとるその席で、自分がくたばるまで面倒をみてくれるという話になり、面倒をみるとの口約束を自然に交わせてしまうとまるで熟年期のじいさんばあさんのようなツーカーの仲、と言えば語弊があるがツナのツッコミのタイミングにリボーンが居心地の良さを感じているのは確かのようだ。むしろ精神とか超直感とか血筋とかを差し置いて一番リボーンに買われているのはツッコミのような気がしないでもないツナである。
そんな熟年コンビのような間柄、今になってリボーン相手に恋愛感情が芽生えるとはどういうことなのか。間近で彼の傍若無人っぷりを見てきたはずだのに正気の沙汰ではない。
抗争と抗争のあいだでひとりきりの時にフと、自らが招いた現状について考えた。そして頼りになる背中を持ったヒットマンに好意的なベクトルを向けていることを自覚してしまった。
整った容姿は目を集め、謎めいた歳と過去は興味をひきよせる。背中合わせの距離にそんなリボーンが居て頻発する窮状から実際何度も救ってもらっている──。
納得させられる要素ばかりで納得できる要素はひとつもないがこの問題は理屈で片付けられないのだという証拠に、彼の顔を思い浮かべただけで頬がにわかに熱くなった。
混ぜっ返した結果の自滅である。
いいや違う、あいつは不可能を可能にする言うなればドラ◎もんだ。ド◎えもんに対して恋愛感情なんて涌くわけが無いじゃないか、と酷い錯乱っぷりで突拍子もない考えをねじ伏せようとしてみるがダメだった。
リボーンの容姿と掛けて自分の嗜好と解けばその心は明白であり、能力うんぬん以前の問題なのだ。恋を恋と認めるかどうかの時点においてツナは自分の性分に辟易しながら白旗を揚げるしかなかった。
そして思った。恋ならまだ引き返せるはずだと。それが次の段階に行ってしまわないように必死こいて感情に棹さす決意をした。
このひとり相撲でツナが使える有効なカードは一枚きり。

抗(コウ)・読心術である。

それは恋心を自覚した途端に自己防衛手段として場に出してしまったのであとは己の腕一本でうまく立ち回るしかない。
そして多くの手札と引き金はつねにリボーンの手元にある。彼がからかいでもそういう気を起こしてしまえばツナは自分がどうなってしまうのか分からなかった。それが非常に怖いのだ。だから本当に必要なとき以外リボーンを呼ばなかったし、自分の興味あるところにマメだが細かい所に頓着する性格ではなかったリボーンがとやかく言ってくることはなかった。
なのに、だ。
イヤガラセのようにこの状況。
取り付くことの出来る書類や気を紛らわせてくれる物が無いこの空間に二人きりというのは非常に困る。だが表向きにそんな感情は出せないので、死ぬ気で体裁を取りつくろっているのであった。







「それで…この飛行機何で日本に向かってんだよ…」
それには答えずリボーンは質問をかぶせてきた。
「今日が何の日か知ってるか?」
「…俺の誕生日じゃないことは確かだよね」
かといって目の前の元カテキョの誕生日でもない。二人は何の因果か誕生日が一日違いだったため、それにかまけて合同で誕生日を祝われたり、ひどいときは盛大にリボーンの誕生日を祝っておきながら翌日のツナの誕生日は忘れ去られていた年もあった。
「こどもの日だぞ。」
「あ、そうだった。懐かしいなぁゴールデンウィークだっけ」
「そこでだ。ツナの日頃の頑張りに免じて労をねぎらってやろうと思ってな。連れてきてやったんだぞ」
「あのさリボーン……言おう言おうと思ってたんだけど、俺のぎっちぎちのスケジュール知ってるよな?」
「知ってるぞ。帰ったらやりゃーいいじゃねーか。あんな量二時間もありゃ楽勝だろ」
「出来るか! っていうか獄寺君は? 俺が居なくなったら一番困る獄寺君は!? 扉の向こうで俺が書類仕上げるの待ってたはずなのに!」
「めんどくせーから後ろから殴った。いまごろ目覚ましたんじゃねーか」
「…は?」
「追っかけてきたテメーの部下もまいた。ついでにツナのスーツに仕込んであった発信器も潰しておいてやったぞ。感謝しろよ」
「ギャー何してんのお前! たたた…大変だ…獄寺君に国際指名手配されちゃう…!」
そんなセリフは耳タコだ、と言わんばかりの顔つきで相づちを打たれた。
「一日二日で戻れば問題ねーだろ」
「それはお前の都合だろ! 何でこの忙しい時期に日本に帰らないといけないんだよ!」
「うるせーな。いつも手伝ってやってんじゃねーか、たまにはオレの仕事に協力しろよ」
「そりゃいつも感謝してるけど! …って、え。…もしかしてそれ暗殺の仕事なんじゃ…」
マフィアの世界に身を置いているといっても命の取り合いは出来るだけしたくないのが本音である。
「殺しはしねぇ。簡単なアルバイトだぞ。それ以上は守秘義務で言えねーから聞くんじゃねぇ」
「お前の『簡単』って言葉信用できた例しがないんだけど分かったよ。お前が満足しないかぎり俺もイタリアに帰れないことも十分わかったよ。……それで、どこでやるの?」
「ここだ」
スーツの懐から取り出すなりパラリと見せられた一枚のチラシ。それが指し示す場所を知ってツナは目をひん剥いた。
「…冗談だろ?」
「こどもの日ならではだろ?」
ニヤリと頬づくるリボーンの目だけはさっぱり笑っていなかった。