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「遊園地…ですか?」
「うん!明日は母さんと父さんと一週間前から約束してたの!おれすっごくすっごく楽しみにしてるんだ!」
「……………」
箸を満足に使えない代わりにスプーンをたどたどしく扱いながらちらし寿司を口に運ぶツナがそんな発言をしたため場の空気は凍った。
(なあ獄寺、たしか今奈々さんって…)
(………家光さんとご旅行中だ。連絡はつかねぇ)
コソコソ声で話し合う二人が視界に入らないようでツナはにこにこ笑顔である。
「沢田さん、ちなみにその遊園地はどちらの…」
「もちろん並盛遊園地だよ!」
並盛市民にとってはメジャー級の知名度を誇る並盛遊園地だったが、十六年後の今は実は世の中の不景気に圧迫されるかたちで五年前に閉園してしまっていた。
そして、今この状況にそんな事実口が裂けても言うことはできようはずもなかった。
「おれ、お馬さん好きなの!」
「ウマ?」
「うん!お馬さん、『メリーゴラウンド』っていうの!」
「失礼しましたッ!」
ウマと言われて一瞬跳ね馬しか出てこなかった獄寺は我が身を恥じた。同時に、敬愛する十代目に対してミジンコ大のサイズでも疑いの心をもってしまった自分を脳裏で一〇〇回タコ殴りにする。
「おれ、乗ったこと無いんだ。でもだから明日は絶対メリーゴラウンドに乗るんだっ」
「…………」
八歳の子供のあどけなさ全開でそんなことを言われてしまった獄寺はこれが右腕の役目といわんばかりの目つきで腹を括った。



* * *



次の日の朝。
「じゅうだ…沢田さん、起きてください。沢田さん──」
「ん…うん………っアッ!──ゆうえんち!!」
がばりと起き上がったツナの開口一番の言葉を聞いて「目が覚めたら全部元に戻っていた!」という獄寺の淡い望みは木っ端微塵に吹き飛んだが、獄寺は持ち前の十代目愛で自分の落胆をおくびにも出さなかった。
「はい!そうですよ今日は遊園地です!ですがその前に沢田さんに伝えておかないとならないことがありまして…」
「え?どんなこと?」
「実は、沢田さんのお母さんとお父さんの都合が悪くなってしまいまして、来られなくなってしまったんです」
「ええっ!?」
途端に涙目になったツナの、多少童顔ではあるが外見上は大人であるツナの泣き顔など心臓に悪くて直視できない獄寺はわずかに目線を逸らしながら言った。
「ですがその代わりに俺たちがご一緒します!」
「やだ!!おれ、とーさんとかーさんと一緒じゃなきゃやだよ!!」
「沢田さん…!そこを…そこを何とか…!!」
「やだったらヤダ!!なんで!何でそんなこと言うの!おれずっとずっと前からすっごく楽しみにしてたんだよ!?」
「それは百も承知です!ですが…!」
「やだやだやだァ!」
目に涙を溜めていやいやをするツナの両手を掴んでベッドに押しつけ必死にたしなめようとする獄寺だがもしこの場に誰かが入って来ようものなら『寝間着姿のボスに朝っぱらから強引に迫る部下』として勘違いされてもおかしくない笑えない構図になっていることを本人達は必死すぎてまったく気がついていない。
それはさておき押し問答の末になげやりになったツナ少年から獄寺にとっての爆弾が遂に投下されてしまった。
「そんなこと言うハヤちゃんなんて嫌いだ!」
嫌い、キライ、キライ──!
「……っ…」
たちまち蒼白で絶句した獄寺のところに騒ぎを聞きつけたリボーンが入ってきた。獄寺の真っ白で空っぽの心情を読んだリボーンは一瞬で状況を把握した。
「おいツナ、ワガママもその辺にしとけ。いくらお前がグズったって変わらねーモンは変わらねーんだ」
「だって…だって…!!」
「聞き分けねーとお前のために手を尽くした獄寺の昨晩の頑張りも無駄になるぞ。折角ボンゴレの敷地内に遊園地を用意したのにな」
「え?」
言うが早いか重厚なカーテンを開けたリボーンの奥にひろがっていた光景にツナは目を奪われた。
「うわぁ…!!メリーゴラウンドだぁ!本物だぁ!」
「一晩じゃ並盛遊園地のメリーゴーラウンド探して持ってきて間に合わせの移動遊園地を借り上げるだけで精一杯だったみてーだがな。おいツナ、乗りたいか?」
「乗りたい!」
「なら先ず獄寺に礼を言え。庭に出るのはそれからだ」
リボーンが顎をつかってそちらを指すと、獄寺がありったけの負のオーラをまといながら滝のような涙を流して直立不動で立っていた。



* * *



傑出もしないし落ちもしない並のレベルが最高の美徳、という並盛町にある並盛遊園地だが、そこにあったメリーゴーラウンドだけは実はその掟を破っていた。
メリーゴーラウンドマニアなら必ず知っているその「並盛のメリーゴーラウンド」とは、十九世紀はじめ、ドイツでヒューゴ・ハッセが、当時の機械技術と美術工芸技術のすべてを投入して作製したという世界的にみても最古級の歴史あるメリーゴーラウンドだったのである。
そのぶんちょっと汚かったり年季が入っていたり最近の馬よりも若干顔がホラーで厳つかったりしたのだが、そんな些細なことは目の前で目をキラキラさせているツナの問題にはならなかった。
「わあー!かっこいいかっこいい!早く乗りたいな!」
庭に出て遠目から見ているような距離からそんな風にテンションを上げまくっていたツナだが、いざ間近に見ることになると何故か緊張した面持ちで萎縮していた。
「沢田さん?どうされましたか?」
「う…ううう…」
「…………一人で乗るのが怖いらしーぞ」
いちはやくツナの心を読んだリボーンが獄寺に知識を渡した。
「っ!そんなことでしたら俺が側についていますよ!」
「ハヤちゃん………でも…おれ…」
「どうしました?」
「その…ハヤちゃんじゃなくてリボーンがいいな」
びしりと固まった空気は獄寺から発せられただけで無く、珍しいことにめったに感情を出してこないリボーンの周りの空気もたちまち凍った。
「お断りだ」
「…っ!リボーンさん!」
名実共に世界ナンバーワンの腕を持っているヒットマンが二十四のいい歳した男と同じ木馬に跨がるなど何が悲しくてそんなことやらねばならないのかというリボーンの心情は読心術を持たない獄寺も痛いほど分かったが、それ以前にツナから直々にご指名を受けるなんてと相当の羨ましさを持っていたので半ば怒りつけたような口調になってしまった。
「何を迷うことがあるんですか!十代目のためです!つべこべ言わずやってください!!」
「……随分偉くなったもんだな獄寺。オレに指図か?」
絶対零度の威圧を叩きつけてくるリボーンにもこの時ばかりは獄寺は揺らがなかった。
「十代目のために死ねるなら本望ですッ!でも十代目の願いは俺の命にかえて叶えてさしあげて下さい!」
「………」
やがて視線を弛めたリボーンはメリーゴーラウンドに一歩進み出ると頭ひとつ分背が低いだけのツナに「来い」と顎で促した。
「リボーン…!」
「リボーンさん…!」
「今日は譲ってやるが獄寺、誰だろうが近づけるな。見やがったら問答無用で殺す」
「ハイッ!おまかせください!」
こうしてリボーンの悪夢のカルーセルははじまった。



* * *



並盛のメリーゴーラウンドこと昔のメリーゴーラウンドは今日のように様々な乗り方を用意していなかったので基本乗る時は一頭に一人である。なのだが、ツナは一人で馬に乗ることを怖がったためリボーンがツナを後ろから抱く格好で一頭の馬に二人乗りすることになった。
プルルルルルと発信音が鳴り響き、夢の中に誘い込まれるような、とろけた飴のような音楽が支柱に埋め込まれた鏡に照りかえって二人を包むように反響する。
「わあああい!」
「………」
「お馬さんお馬さん!たのしいねリボーン!」
「………」
リボーンもツナも決して見てくれが悪い方ではないうえにツナは童顔で外国人からしてみたら十分女の部類に入る華奢な体つきをしているので、見る人によっては思わず写メを撮りたくなるくらいある意味で様になっている。
(…………。)
ターゲットをヒットする時以上に、半径一〇〇メートルの範囲内に気を配るリボーンの気持ちなど微塵も分からないツナはきゃっきゃと楽しそうだった。だがあまりにリボーンが無心でツナの言葉に無反応だった為ツナはやがて空気を読んでしまった。
「リボーン…おれといるの楽しくない?」
「………いや、」
それ以上言葉が出てこなかった。
これが赤ん坊の姿だったのならまだ割り切れていたリボーンだが今はどうしたって呪いが解けた本来の姿から姿を変えられっこないのある。
「なら何でそんな顔するの?おれのかーさんが、おれがそんな顔するとすごくかなしそうにするんだ。おれもそんなリボーンの顔見てたらかなしいよ…」
しょぼくれて今にも泣きそうなツナの横顔を見て、憎からず教え子を思っている師匠の心は少しずつ素直になった。
「………そうだな、悪かった」
「リボーン?」
「お前は悪くねぇぞ。オレのつまらねぇプライドのせいだ」
「ぷらいど?」
「この距離まで近づいちまうとお前が八歳に思えなかった。──だからそんな顔をするな」
「……うん…」
目の前のポールを両手で掴んで離さなかったツナが腕の力をゆるめながら自分を律することを止めて恐る恐るリボーンへ背を預けてきた。二十四歳に見えても中身は八歳なのだ。まだ何かに甘えていたいのだろう気持ちは心を読まなくても体温で十分伝わってくる。
ためらいがちに伏せられた教え子の、それでも願いが聞き届けられて少しだけ嬉しそうな滲んだ目尻の横で頬が赤く染まっている。それが八歳のツナからきているものなのか、二十四歳のツナの体からきているものなのかリボーンは判別出来なかった。



ただ、その表情に向けて十年間、十年越しに今までに無い感情をはっきり覚えたのは確かだった。




《はじまり。はじまり》