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日本の夏。それは体感した生き物にしか分からない、いっそ見苦しいまで全てが怠惰的にならざるをえない魔の季節だ。

まるで四六時中悪魔が耳元で囁いているような感覚。ささ、涼しくて静かなところに連れて行ってあげましょう、といった悪魔のオイシイ話に少しでも気を許してしまえばたちまちプスッと魔に刺され、はっと我に返れば何の恨みがあるのか時計の時刻は夜三時ジャストだ。そんな嫌になるくらい真っさらな生活がつづくのだから、子どもの頃などワクワクした笑顔しかりの絵日記がどうしてか埋まらないのも頷ける。

しかし一部の生物は憎たらしいくらい元気いっぱいだ。真夏の太陽の直下でぎらぎらと照り光るアブラゼミは憂いの季語になりがちな自分の寿命を屁とも思わず昼夜通して滑稽な誘い文句を掲げて『オレはサイコウだ!』と異性相手にわめき立てる。一方で、コンクリートの上を行ったり来たりせわしなく餌を求めて動き回る働きアリは、目玉焼きどころか温泉タマゴが茹であがりそうな黒いアスファルトの上で四つんばいになってジクジクと六本の足を焦がしている。

そんな午後、並盛町という町で妙に男らしい字で表札を彫っている『沢田』という一軒家のなかに暑さでグッタリまいっている人間がいた。名を沢田綱吉、あだ名はツナ。名前のわりにはシェパード犬はおろか、チワワにすら媚びを売られず見向きもされない十八を数える高校生の青年である。


「……………………死んだらちょっと涼しくなるかな」

イタリア最強のマフィアボンゴレの十代目候補、沢田綱吉──ツナは流行りのエルニーニョ現象でへばった魚のような目で、うだる日々からオサラバしたい欲に駆られていた。どこかのホラー映画のように極上の悪魔が一頭どころか六頭は憑いていそうな青白くやる気の失せた面持ちである。その半面、汗びっしょりのTシャツとズボンをまとわり付かせたまま仰向けになり死人のように真っ白い四肢を投げだしているツナがいる居間の室温は、お祭り騒ぎのごとく四十度の大台をぶち抜きそうな勢いで急上昇していた。

ふと、キッチンを映していた視界のはしで乾燥棚に置かれたヤカンがシュッシュとありえない湯気を噴き出すのを見てしまう。これはさすがにマズイと思い、とっさにツナは首を振った。そしてヤカンに背を向けると今度は覗き見るようにそっと半目を開けて視線を壁の上にむけた。視線の先はお茶の間で三種の神器とうたわれる冷房装置、クーラーだ。同時にツナはテーブルに放られていたリモコンのありかを手探りでつきとめるなり人差し指と中指で弾かないように細心の注意をはらって引きよせる。ようやくそれを握りしめることに成功するとたちまちツナは開眼し「ありがとう神さま!俺は今悪夢から目覚めました!」というようなサッパリした顔で嬉しそうに顔をほころばせながらそのまま『送風』ボタンにありったけの力を込めた。だが、ツナはたちまち絶望した。

その頼みのつなであるクーラーの主電源装置にステンレスのフォークが四分の三以上深々と突き刺さっているのを見たからだ。
「──っ!」
まるで悪夢の二部構成だとツナは頭を抱えた。そして、頼んでもいないのに彼の脳裏で朝の惨事が生々しく展開をはじめた──









おきまりのスーツ姿で生意気に白いナプキンを襟に留めて奈々手作りのビシソワーズスープを少しの音も立てずにもくもくと口に運んでいるリボーンがみえる。その横で、ツナは暑さからくる気怠さを押しとどめ椅子によりかかってスクランブルエッグをフォークでつつき、なんとか喉に通していた。それへちょっかい出しにやってきたのはやっぱりランボで、テーブルの上に躍りあがって悪ふざけを始めるその牛柄シャツの子どもをなだめた──否、半殺しにしたのはリボーンだった。それの象徴ともいうべき風景が今日の朝だったのだ。

十歳になり、奈々の勧めもあって全身をくるむ牛柄の着ぐるみを卒業した今、顔立ちが整っているのだから落ちついて黙ってさえいれば天然モジャモジャ頭が玉にキズなだけで良家の子に見えなくもないランボは見事なまでに生活態度を改めずゴーイングマイウェイを貫いていた。

傍観を決め込んでいたツナまでが一体どこで覚えてくるんだと咎めたくなるようなケンカ文句をリボーンにふっかけ、あまつさえ至高の殺し屋が上級の敬意をはらって味わっていた冷製スープにランボは指を突っこもうとした。
ぷつん、軽やかな音がリビングにこだました。

「ツナ、フォーク貸せ」

ヒットマンの有無を言わせない絶対的な命令文句にツナは脊髄反射で従った。あっ、とツナは思うが時すでに遅く、振りかぶった動作さえ速くて見えないヒットマンが撃ち出した硬質の光のすじ、殺人フォークはランボの背後にあったクーラーを道連れに彼のもじゃもじゃ癖っ毛を撃ち抜いていた──






「……なんで不幸は全部俺に返ってくるんだろ…」
ソファに突っ伏したままツナはうなだれた。生死が気になるランボはどうしたかと思えばクーラーの位置で宙づり状態になったのを引きずり下ろしてもらってひとしきり泣き叫んだあとはケロッとしたもので、夕食のお遣いへ行くという奈々とイーピンのお供をしているのだった。全力を注いでもビクともしないフォークを何とか引き抜こうと躍起になっていたツナを尻目に、リボーンは朝食を済ますと二階へ上がったきり今まで姿を見せていない。

離れ雲がちょうど家の上にかかっているのか、外が少しだけ暗くなった。
ちらりとツナが目をやれば、時計の短針は午後の『3』をさしていた。

「あー…二階の方が涼しいんだよな…」

自分の部屋にはクーラーがないのを百も承知で、信じてもいない言霊に依存したように嘘八百を口先に並べてみる。するとどうしたことか、二十メートルはラクに歩けそうなほど身軽になった気がした。よしっと意気込んでツナは上体をもたげた。するととんでもない邪魔が入った。


(プルルルルル…)


平日の午後三時、あるいは惰眠を貪りたい者にとっては魔の時刻と呼ぶべきか、そんな昼にくる電話ほど、面倒くさいものはない。

ツナの経験上、七割は生命保険の勧誘、そして残る三割はもはや苦笑いするしかないが『家庭教師』の勧誘だった。とことん運のない日はコレが自分とは微塵も思いたくない軽そうなにーちゃんが「俺だよ!俺!」ばかりをくりかえす電話をかけてくる。いずれにしても、面倒くさいことこの上ない。ツナはソファへ仰向けのままひっくりかえり、手の甲を額に当ててぼうっと考えた。


「…決めた。無視ろう」

──それから五分経った。まだ、電話の音はやまない。止む気配すらないそれにツナは肩をいからせて受話器を引ったくった。若干の不快を滲ませながら応対する。

「はい、…沢田ですが」
(──あ!ツッ君?今駅前にいるんだけど)
受話器の向こうには奈々がいた。いつものマイペースがちょっと小走りになったような声がツナの耳にも届く。とたん、ツナは不快を一層露わにした。
「なんだ、母さんかよ……なに?何か用?」
奈々はツナの不満をとっくに承知しているようで、息子のつっけんどんな態度にあえて口を挟むこともなかった。
(そこにリボーン君いる?)
「いないよ。俺居間にいるから分からないけど、多分俺の部屋で銃の手入れでもしてるんじゃないの」
(そう……ねぇ、ツッ君。結構前だと思うんだけど、家にふよふよ〜って浮いている人来なかったっけ?宇宙船みたいな乗り物に乗ってて…確かリボーン君のお友達だった気がするんだけど…)
「……は?浮いてる!?知らないよそんな奴…」
言ってから更にツナは釘をさした。
「母さん…町に出没する奇っ怪なヤツ全部が俺ん家に関わりあると思わないでよ…頼むから」
(でもねぇ…ちょっと見たことある顔なのよねぇ…うん、わかった。ちょっと声かけてみるわね、じゃね!)
「ちょっ、ちょっと待っ…かーさんッ!?」


(ガチャッ。──ツー…ツー…)

冬のパーティーの仕返しだろうか、ツナの制止もむなしく奈々はたちまち電話を切ってしまった。脱力したままうろんな目でツナも受話器を置く、すると背筋に電撃のような痛いくらいの寒気が走った。甚だしく要らんところでツナの超直感(ブラッド・オブ・ボンゴレ)が嵐の予感を伝えてきたのだ。
だから昼間にかかってくる電話にはろくなモノがないんだ。そうツナはひとりごちた。