「ただいまー」
「ランボさんが帰ってきてやったぞーツナー」
「ただいま戻りましたー」
しばらくして、三つの聞きなれた声が玄関から帰宅を告げた。それともうひとつ。
「十代目、リボーン様、お邪魔いたしますー」
四つ目の声が朗々と響く。どこかで聞いたことのある声にツナは僅かに好奇心をかき立てられて玄関へおもむいた。
「お帰りー………あっ!」
巨大な顔に貼りついた髪を七三になでつけたその男は、確かに重力に逆らった宇宙船らしきものに乗っている。黒光りする乗り物には『GII』と誇らしげに刻印された鉄板が溶接されていた。奈々が知っているというだけあって、ツナも確かにその人物に見覚えがあった。そして、母親たちの後ろで控えめにしていても目立たずにいられない大柄な訪問者はツナを見留めるなり操縦席のパワーウィンドウを開けて玄関先で一礼をした。
「おひさしぶりです十代目。リボーン様はいらっしゃいますか?」
「あ、えーと…あなたは……前にオレん家に来ましたよ…ね?」
几帳面そうな髪型が暗示するように礼儀をわきまえているその男を前にしても名前が出てこないツナは一方的に気まずくなった。だが、自分の名前を忘れられてしまったことを知っても尚その男はニコッと人好きのする顔で挨拶を申し出た。
「ではあらためまして、ボンゴレファミリー専属武器チューナーのジャンニーニと申します」
「あージャンニーニさん…!」
名前を思い出すと同時に、ツナはできれば封印してしまいたい、彼の宇宙船に潰されるという苦々しい思い出まで記憶の底から引っ張り出してしまった。おなじみの暗鬱な気分に襲われる。
「リボーンなら俺の部屋にいると思いますけど…もしかしてまた改悪…じゃなかった武器改造するんですか?」
恐る恐る尋ねるツナの本意をどう受けとめたのか、ジャンニーニは晴れ晴れしい声で返事をする。
「ご心配なく、十代目。私はこの五年間でまだ一度もお客様からクレームを頂いたことはございませんぞ!」
それは使った人がクレームできないくらい重症を負ったからなんじゃ…と、ツナは持ち前のネガティブ思考で思いなす。その直感もあながち間違っていなさそうなのが、笑顔に隠されたジャンニーニの真に恐ろしいところであった。
ツナがジャンニーニを引き連れて自分の部屋の扉を開けると、そこにはやはりリボーンが居た。ツナのベッドに我が物顔で寝ころがっていたリボーンは悪びれもせず、人を招いたくせにベッドから起き上がりもしなかった。
「遅かったな。ジャンニーニ」
「申し訳ございません、リボーン様。五年ほどで意外にも場所を忘れてしまいまして、並盛の駅で十代目のお母様にご案内いただけてようやく参りました」
「アレはツナの机の上に置いておいた。持って行け」
「ありがとうございます、では拝借いたします」
何かを受け取ったジャンニーニは狭い部屋のなかで器用に方向転換すると、最後まで礼儀正しくぺこりと頭を下げ、部屋を発とうとした。
「…お、おいリボーン!お前この暑いなか人に来てもらってんだろ?起きてこっち向くくらいしろよ」
用件が済むなりさっさと出て行ってしまおうとするジャンニーニに慌てたツナはリボーンを控えめに咎めた。しかし、その返事とばかりにそっけなく放ったリボーンの言葉にツナは自分の耳を疑った。
「足の感覚がねぇから動けねーんだ。午後からな」
「え…?」
「『成長痛』ですな。当家を贔屓にしてくださっているコロネロ様も、数日前から似た症状を発症されてしまわれた様でしたが…」
「あいつの方が先だろーからな。けど奴はもう終わった頃だろ」
「ごもっともです。父ジャンニーイチのチューニングを終えた装武器をコロネロ様へ納品する際伺いましたおりに笹川様からその件を拝聴いたしました」
「コロネロ…?…成長痛…?」
あっという間に会話に取り残されたツナにジャンニーニが丁寧に教えてくれた。
「リボーン様、そしてコロネロ様などアルコバレーノの血統を持つ者には避けられぬ奇病と噂された病が成長痛なのです。一般にも存在する病で、三歳から五歳の幼年児に発症し易く、成長と共に伸びる骨が裂けるようなかなりの痛みを足に与えるのだと。しかし、ことアルコバレーノに限り小児比較にならぬほどその痛みは激しい。」
そして数日ほど先に発症されたコロネロ様は既に完治されたようです、とジャンニーニは説明を終えた。
「…リボーン、本当に大丈夫なのか?」
「痛みはねぇ」
「………ならいいけどさ…」
「十代目にはこちらもかなり重要なものかと思いますぞ?」
ジャンニーニはリボーンから預かった物を、包んでいた白い布から差し出してみせた。彼の手の中にあったのは一発の、嫌になるくらい見慣れた先のするどい銃弾だった。
「これって…死ぬ気弾だよね?」
「さようでございます。本日はこちらの特殊弾を改造するため受け取りに伺いました。これは十代目の肉体的苦痛を和らげるべくボンゴレ上層部が取り纏めた決定事項でございまして、うまく改良が成功すれば直ぐに残りの死ぬ気弾も改良せよ、とのお達しでございます」
「つまり…それって…」
ツナの期待は嫌が応にもみるみる膨らんでいく。
「ツナが副作用の奇病はおろか筋肉痛ともオサラバできるかもしれねーなってコトだ」
「ホントに!?」
途端にツナは水を得た魚のように目を輝かせて、こうしては居られないとジャンニーニのツヤツヤなおでこを一心不乱に拝みまくった。
「お願いします!神さま仏さまジャンニーニさまッ!どうか俺を慢性的な筋肉痛から救ってくださいーッ!!」
まるで五年間で抱えた禍(わざわい)を年末駆け込み厄払いするかのようなツナの必死の形相に、ジャンニーニは胸を反らせて「おまかせください、十代目」と得意満面に菩薩様のような後光を配した笑顔で応えた。
仏の化身のようなジャンニーニが部屋を後にしてもツナは背光の余韻に浸っていた。さっきまでは気づくこともなかった涼やかな風が窓からさらりとカーテンをはらって亜麻色の前髪をゆらしてくる。まるで険悪だった夏から今までの私は冗談でしたと言われたような嬉しい気持ちがますますツナをとらえる。ツナが四角い空に目をやれば、控えめに遠くで自己主張するように雨を多分に含んだ黒雲がきらりきらりと光るものだから、昼とは変わって過ごしやすくなりそうな気配にいよいよツナは顔をほころばせた。
幸福というのはこうも続けざまに起こるものなのだろうか、果てはリボーンまでがツナにこう言い渡した。
「一日寝てりゃ治る。仕方ねーから今日のカテキョは休みだ」
ツナは文字通り舞い上がった。ソフト帽で顔を覆いながらさっさと眠ってしまったリボーンを見てそれが本当なのだと実感すると、ツナは冷酷な家庭教師の気が変わらないうちに一階へそそくさと逃げおりた。一階ではランボとイーピンが遅めのおやつをパクパクと食べていて、妙に嬉しそうな息子の顔を見た奈々はランボの口まわりを拭いてやりながら不思議そうな顔をして個別盛りにしたクッキーをツナに差し出した。
「はい、ツッ君とリボーン君の分ね。今日もこれから勉強なんでしょ?」
「今日はあいつ家庭教師休むってさ」
奈々手作りのクッキーをつまみながらツナは言った。ひとくち頬張るだけで、イーピンとランボの機嫌がすこぶる良い理由がツナも分かった。ほどよい甘さが口いっぱいにひろがる。
「寝てたいみたいだから、今日はずっと起こさないでやってよ」
俺のために。そうツナは内心つけ加えた。成長痛のことは自分が面倒なことに巻き込まれそうだと思ったので黙っておく。
「そうなの?」
「これ、あいつのでしょ?持っていってやるよ」
これくらいのことならしてやるか、とツナは大きな人間になったような寛大な気持ちで奈々からリボーンのぶんのクッキーを受け取った。
「リボーン、これ母さんから差し入れー」
クッキーをのせた皿を片手にトントンと景気良く階段をのぼるツナは、廊下でジッとしているレオンを見つけた。どうやら彼はペットにまで暇を出したらしい。それともよほど一人になりたいのか、そう思ったツナはリボーンのもとを常に離れなかったカメレオンを肩に抱き上げ、ここでうるさくしてリボーンに気が変わられては堪らないとドアのノブを慎重にまわして飼い主の様子をそうっと覗きみた。
ドアの隙間から革靴を履いたままベッドに投げ出されているリボーンの足、まったく動く気配もないそれにツナはほっと安堵した。今度こそドアを開ける。そして、ひらけた前の光景におもわず両目をみはった。
リボーンはベッドにいる。たださっきと違っていたのは彼の様子だった。
これでも日本人なのだと人を騙せそうなところを彼の外見から挙げるとすれば髪の色と目の色の黒しかなく閉じられた長いまつげに外国人らしく整った顔立ちと容姿が、今はソフト帽で隠されることもなく全てさらけ出されていた。黒ネクタイを適当にゆるめ、糊の効いた白いシャツにも構わずそのまま仰向けになっている。何よりも外見に気を遣っていたリボーンが今は寝間着に着替えることすら出来ないのだとツナが気がつくまでさほど時間はかからなかった。右手の甲は煩(わずら)わしそうに額のそばへあてがわれ、左の手は、丈夫な布で織りこまれているマットレスの縁(へり)をつよく掴み、歪めてしまっても離そうとしない。力を入れすぎているためにその手は筋がスウッと浮き出て白ばんでいる。だが、手が蒼白になるほど強く痛みを耐えているというのに彼の変調はそれだけだった。境遇を呪って呻(うめ)いている訳でも、息を乱している訳ですらない。音をいっさい遮断されてしまったような、とても静かな部屋だった、それだけに──そこへねむるリボーンのようすは左手に際だち、ツナにもありありと分かってしまった。
教え子が部屋から出て行ったときに脱いだのだろうプロフェッショナルらしくもなく床へ放り投げられている黒い上着とトレードマークであるはずのソフト帽がどうにも物悲しく映ってしまい、ツナの浮き足だった気持ちをたちまち塞いでしまう。
見なければよかった。ツナは頭の中どこか遠くでそうおもった。
(お前、それ──…痛くないんじゃなかったのかよ)
金縛りに遭ったように動けなくなってしまったツナは心の中で小さくうめいた。するとそれまで黙っていたリボーンからそっけなく返事をかえされる。
「何してる、夏休みも残り少ねーぞツナ」
楽しんでこい、とリボーンは何も変わらない声色でツナに構おうとしない。
「………お前に言われなくたって分かってるよ」
他に何かを言う気力も湧かず、ツナはそれを言うだけで一杯になってしまった。部屋の机にレオンをそっと横たわらせ、その隣にコトリと奈々手作り菓子をのこして一階に下(くだ)る。リビングで楽しそうなランボたちの笑い声が聞こえ、さっきつまんだ特製のプレーンクッキーが視界にはいる。食べようと思ったわけでもないのにツナはそれをひとつ手にとって気がつけば口に入れていた。
「…………」
同じクッキーをイーピンとランボはおいしそうに口へ運んでいるのに、ツナにはその菓子の味がとうとう分からなかった。