…それから数日後のことである。
二学期をむかえる始業式がおわり、早めの下校となったツナは南中に太陽をあおぎながらヨロヨロとあぶない足取りで家路についていた。蜃気楼をみながら這々(ほうほう)のていで辿り着くと、自宅前の公道に黒光りする大型オートバイがドーンとかまえているのに気がつく。オートレーサーが乗っていそうな、テレビでたまに観るレース用バイクに近いフォルムだがこちらの方が随分凶悪な雰囲気を醸しだしている。沢田家の住人でバイクに乗る人間はいないし、かといってスカルが乗っていたオフロードバイクと随分違うので見覚え自体なかった。
「ゲッ、すげーバイク…」
声は嫌そうにするが、吸い寄せられるような魅力的な形をしたそれから目を離すことができず、立ち止まる。いつのまにか頭の中では愛しのマドンナである笹川京子を後ろに乗せてツーリングを楽しんでいる素晴らしい光景がもわもわと浮かんでいた。
目の前のバイクに見劣りしないたくましい身体を有した男に自分を捏造し、その後ろにはピンク色のヘルメットをかぶった京子が(こんなにかっこいいバイクに乗せてくれてありがとう!ツナ君だいすき!)と素敵な笑顔をうかべ───と、バイクを見ながらヘヘへとニヤけるその様子は残暑の暑さにとうとう頭をやられた幸薄い高校生に見えなくもない。
「いいなぁー…」
しばらく物珍しげに眺めていると、突然後方でクラクションが鳴りひびいた。振りかえると一台の乗用車の中から気の短そうなおやじが自分を睨んでいた。
「危ねぇぞ!どけろ!」
「わっ、ご、ごめんなさい…!」
どけろと言われても大型バイクの動かし方など知らないツナは追い立てられたハムスターのようにちょこまかとマシンの周りを調べまわった。再びクラクションが鳴らされ、輪をかけて焦りまくる。
「どどどどうしよう……と、とりあえず邪魔にならないところに引っ張っていかなきゃ…」
ハンドルを恐る恐る握りながら、足元にあるストッパーらしきものをどうにか跳ねあげる。自転車を牽引するのとおなじ要領でさあ前へ押しだすぞと細腕に力をこめた途端、ぎゃっ。と短いうめき声あげて自宅の塀へ背中をモロにぶつけた。叩きつけられた衝撃に一瞬息がとまる。
「何やってんだ小僧!」
「す、すみません!」
バランスをくずして倒れてきたバイクにのしかかられ、壁と鉄の巨体に挟まれる格好になってしまった。自分がクッションがわりになったお陰でバイクをこすらずに済み、弁償の二文字がよぎって血の気が引いたツナは一命をとりとめたような顔で冷や汗をぬぐう。気を取りなおし、大型二輪車に満身の力をこめた。
「このっ!………あ、あれーおかしいなぁー……」
思わずノドが引きつる。持ち上がらない、それどころかぴくりとも動かない。当然である。ベンチプレスで三十キロを上げられないモヤシっ子が三百キロを超える目の前のバイクを押し上げる事などできるわけがないのである。ハンドルを握りしめながらその場に膠着(こうちゃく)したツナは、大型バイク初心者にありがちな『立ちごけ』よりも更に悪い一人では復帰不可能な引っぱりごけ¥態であった。
悪戦苦闘していると再三のクラクションが鳴り、ツナは真っ青になった。車から見ているおやじも出てきてくれてもよさそうなものだが、その助けは終ぞなかった。そのうえこの暑さである。ブラックメタリックのボディーは太陽熱を過分に吸っており、それが胸の辺りでぶわっと発散してくるのでツナは熱くて堪らない。体じゅうバイク型の焦げあとがつくんじゃないかと危ぶみ始め、それにともなって意識ももうろうとしてきた。視界いっぱいに黒々とした蜃気楼がひろがってくる。とその時、自分ではないものすごい力がバイクの巨体を押しあげた。同時に悪夢のように畳みかけられていた圧迫感が煙のようにフッとかき消える。
「何してる…沢田」
「す…スカル?…い、いつから居たんだ?」
「貴様がオレのバイクを見ながらニヤついていたところからだ。…気色悪い」
ツナがどれだけ頑張ってみても動かせなかった巨体をハンドルひとつ握りしめるだけでいとも容易くあしらってみせる。二人のうしろを通り過ぎざま悪口雑言あびせかけてくるおやじの顔を一瞥して確認し、後で殺す、と静かに呟いたスカルは物騒な気配を纏ったままツナを睨めつけた。
「───リボーン先輩に用があって来た。話はついた。沢田、これを付けろ」
押し付けられたのはヘルメットとゴーグルで、暑さの盛りだというのにこれも黒一色に統一されている。唖然としているツナをおいてスカルはさっさとバイクにまたがる。親指をうしろへクイと引いてそのまま「乗れ」と合図した。当然のごとくツナは混乱してしまう。
「ど…どういう───」
言い終わらないうちにツナの耳先三寸のところでバキャッ、という破壊音がして沢田家のコンクリ塀にヒビが入った。グローブを填めたこぶしに付いたコンクリのカスをはらうとスカルは再びハンドルを握り締める。
「煩(うるさ)い。オレこそ貴様と二人乗り(タンデム)など不服極まりない!さっさと乗れ!」
「は、はいぃ!」
事情がまったく飲み込めない上に、乗せたいのか乗せたくないのか判断に困る怒号を返されてツナはその場に固まる。しかし視線で射殺さんばかりの殺気を向けられると一目散にスカルのバイク後方へまたがった。イヤな直感を感じたのでヘルメットとゴーグルもしっかり装着する。
「あのぅ…このバイクで一体どこに行くんでしょうか…?」
「…この島国の最南端だ」
「………はい?」
「オレが飲みてー珈琲の限定豆をパシリはこれからソイツで買ってくるんだぞ」
家庭教師の声が説明をしてくれる。目を向けると玄関先でリボーンが板についた余裕の表情で腕組みをしながら立っていた。からかいの色を溢れんばかりに含ませてスカルを見ている。
「あさっての朝までにコレが欲しいんだろ?ならさっさとパシってこいよ。万年パシリ」
赤いフタに見覚えのある空きビンをスカルへぽんと投げる。コツン。と小気味いい音がしてフルフェイスヘルメットに小ビンがヒットしたとたん、スカルのなかでぶちっと切れたものがあった。リボーンがスカルへ仕返しをしているのだとようやく事を理解したツナが恐る恐る様子をうかがうと、黒いライダースジャケットがぶるぶると怒りに震えているのを肌に感じてしまいサーッと血の気がひいた。
「───おい、ツナ」
「は…はい?」
あらぬ方向からあだ名でお呼びがかかり、ツナは驚いた。怒り心頭に発しているスカルは地平線へ視線を据えながら淡々と言葉を続ける。
「死ぬ気で掴まってろ。貴様が死んでボンゴレが斃(くたば)ってもオレは責任取らん」
言うなり宙に浮くほど全身をふるって振り子の要領でキックペダルを乱暴に蹴り抜いた。鍛え抜かれた脚の斧を脳天へふりおろされた猛獣の断末魔かと錯覚しそうな爆音があってエンジンに火がはいる。まるで彼の怒りに応えたように猛るマシンの地ひびきのような振動がツナの視界をめまぐるしく揺さぶりはじめた。 ───余談だがこのバイク、最新鋭の装備とカスタマイズが成され、スーパーカーに匹敵する性能を有するエンジンを搭載したマシンなのだが、スカルが今し方(がた)したような渾身のキックがあってはじめてエンジンに熱がともる仕様になっていた。要するにアルコバレーノがもつ脚力の馬鹿力のみでしかエンジンが掛からないという無駄に凄いマシンである。(この自負がスカルにあるようで、簡単な手順でエンジンを掛けることができるセルが無く、そのバイクにはイグニッションキーを差し込む鍵穴が見あたらなかった。)
だが、マシンにめっぽう弱いツナにとってはスカルとバイクひっくるめて恐怖の対象として映るばかりである。
「うわっ、…ちょっ、ちょっと待てよ!スカルだけで用足りるのになんで俺まで!っておいリボーンッ!」
今にも驀(ばく)進しそうなバイクにおののきスカルの背にしがみつきながら悲鳴をあげた。リボーンはにっこりと笑って胸ポケットからおもむろに取り出した白いハンカチをこれ見よがしにぴらぴらと振った。
「優しいパシリがいて良かったなツナ。二ケツでやってみたかったんだろ?ツーリング。」
「お、おま──っ!」
渾身の叫びをはためかせたドップラー効果を残し、ツナはスカルと共に音速の速さで並盛町の稜線に消えていった。───彼らがふたたび沢田家にもどり着いた明晩ごろには黄のアルコバレーノに対する労苦を味わってきた者同士の親近感が生まれており、白のボンゴレボスと黒のカルカッサ軍師はお互い妙な仲間意識を持ったのであった。
<おしまい>