気がついたとき、ツナは自宅のリビングへ置かれたソファにひとり仰向けで寝ころがっていた。まわりはうす暗くて、もう夜も遅い頃なのだと次第に気がつく。すぐ横のテーブルに目がいって、そこに昼間格闘したクーラーのリモコンが全く同じところに置かれていた。そして上をあおいだツナの予想通り、四分の三の深さでステンレス製フォークがクーラー本体にめり込んでいる。──何もかもが、昼のあの時と同じだった。
「──夢…だったのか…?」
ランボやイーピン、奈々は寝てしまったようでリビングには物音ひとつ響かなかった。ツナは目をこらして柱にかかった丸時計を確認する。午後十時を少しまわったところだった。
もしかしたら、あれが全部夢なのかとツナは思った。それほど、まわりの景色は変わりなかったのだ。(きっとそうだ。あれは悪い夢だった。)いちど起き上がったツナはまたソファへ大げさにひっくりかえり、手の甲を額に当てて──途端、ウッとうめき声を残して固まってしまった。ツナの視線の先は自分の爪──ディーノが拭いきれず、凝固してこびりついていた家庭教師のわずかな血痕だった。温かい、あのぬるりとした感触がまだその手に留まって、まるで永遠に落とすことができないのだという感覚に襲われた。
「う…わっっぁ」
(──無駄なことだったな、沢田)
頭の中であの声がくりかえされる。
猛烈な自責の念がツナを襲った。
──ああ、そうさ。無駄なことだった。俺が行動を起こしさえしなければ、少なくともあいつは腕にケガを負うこともなかった。そしてディーノさんが持ってきてくれた特効薬で明日にはカテキョとして復帰できたはずだったんだ。…俺が馬鹿な気をおこしたばかりにあいつの全部を滅茶苦茶にしたんだ──!
「あぁ──畜生…っ」
声をおしころしながらツナは激しく後悔した。
まるで絞首刑台へのぼる死刑囚のような面持ちでツナは自分の部屋へ向かった。さいごの階段を上り終え、ドア一枚を隔てた向こうにはリボーンがいるのだと思うとツナはドアノブに手をかけることすら途轍もない恐怖を感じてしまった。かといって今さら下の階へ戻ることも出来ず、にっちもさっちも行かなくなって結局ガチガチになってしまう。
リボーンから否定される。彼の、弾丸のような冷徹極まりないセリフをいくつか想像してみる。前もってそうすれば精神的打撃に耐えられるかと色々画策してみたのだが、どれも家庭教師の放つ言葉を前にしたら紙くずのように吹き飛んでしまうことをツナはこの五年で身に染みて感じていた。…考えすぎるのはやめよう。ツナは腹を括ったようにドアノブに手をかけて、それをゆっくりとひねった。
「リボーン」
「何だ?」
リボーンはツナのベッドへ仰向けになっていて、右肩にとまらせたレオンののど元をひとさし指のハラであやしながらぞんざいに応えた。その様子は普段となにひとつ変わらないけれども、彼の左腕へ幾重にも巻かれた痛々しい包帯の白を見つけるとツナは表情を歪ませた。
「……ごめん」
謝っているようにはとうてい感じられない無気力な声色で、ツナはぽつりと言った。
「ツナ、今日のことだけどな」
リボーン自らその話題にふれてきたのでツナは思わず身震いした。小さなテーブルひとつを隔てただけの至近距離がとても痛い。独断で動いたことすべてが全て裏目に出て、あまつさえ病気で伏せっていた彼に畳みかけるように傷まで負わせてしまったのだ。良いところなどひとつも見つからない結果に、リボーンからどんな非難の声がとんでくるのか──ツナは恐ろしくて仕方がなかった。
「てめーにしてみりゃ上出来だ」
ツナはその声を頭のどこか遠くで聞いた。まったく予想外の褒めことばを言われてツナは頭の中が真っ白になった。
「どうした?」
今日のリボーンはひどくヤサシイ。その労りの裏に隠された、彼が持っている本当の言葉に、真意に、ツナは易々と気がついてしまった。それと同時に、悔しくて、やりきれなくて、ふるえるほど腹が立った。思うよりも速く言葉が止めどなく溢れてくる。ツナは構わずはき出した。
「…………上出来だって?……どこがだよ!?なぐさめは止めろよ!俺のしたことは無駄だったんだ!なのにあんなバカみたいに一生懸命になってさ……どうせ俺は何もできない!やらない方がマシなんだよッ!『何もできねークセに無駄に足掻いて恥ずかしいヤツだ、だからお前はいつまでたってもダメツナなんだ』って、お前だって本当はそう言いたいんだろっ!」
剣幕に任せて一息でまくし立て、最後にこぶしでテーブルを思いきり殴りつけた。ハァハァと息を切らしているそれに目を丸くしたリボーンはベッドの上で仰向けになったまま可笑しくて仕方がないという風にくっくとわらった。
「ッ!ふざけん……!」
ツナから発せられたふたつめの怒号をいとも容易く割り裂いてリボーンが口を滑り込ませる。
「──なるほどな。てめーのオレはそういうヤツなのか」
「……なぁっ?」
二人の間に沈黙が流れた。ツナの反応を観察するように見たリボーンは、目のまえの生徒が豆鉄砲をくらったようにキョトンと黙りこむ顔を見せてきたので明らさまに溜息をついた。
「ソレじゃ分かるハズがねぇな」
「…ど、どういう事だよ…」
リボーンは呼吸を落ち着けると真面目な顔で言った。その落ち着きはらった様子はまるで生来の家庭教師のようだった。
「今日の頑張りを評して教えてやるからよく聞いとけ。結果はどうであれな、一度てめーで決めたことを最後までやりぬくのは当たり前のことだ。その当たり前をブザマと笑うこたねーだろ。ゼロでも百でも、周りの期待だとかは関係ねぇ。最後にのこるのはてめー自身の意思だからな」
容赦ない家庭教師の持論にツナは返す言葉がない。リボーンのひと言ひと言はツナの余分な力をみるみる解きほぐしていく。
「当然のことをしている奴を馬鹿げているとは思わねーし、オレはそれをちっともムダとは思ってねぇってコトだ」
「………。」
家庭教師直々のいつにない讃辞の言葉にツナはポカンとしてしまう。ただ、それらが意味する事は何となく把握できているようで、気づけばツナの顔に普段の血色がもどっていた。ツナは少し照れくさそうに頬をかいた。
「──さて、問題のオレの腕だがな、まだ痛ぇことはいてーんだ」
「──え?」
リボーンの瞳が一瞬だけ子どものように輝いたのを見てしまって、ツナは背筋に寒いものを感じた。気づかれないように摺りあしで後ずさりを始めてみるが、足の丈夫なヒットマンに忽ちゆく手をさえぎられてしまった。
「オレをこんなカラダにした責任、とりてーんだろ?」
ツナの顎に指をかけておいてリボーンは無邪気な子どもを装ったままニィとわらう。
───うだるような悪魔の宴はこれからだった。