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俺は自分の背丈の倍ほどもある大きな玄関扉の前でその装飾に見とれていた。扉だけじゃなく、石造りの館は見渡すかぎり壁と柱が細かい飾り模様で埋め尽くされている。いったいどれだけの人たちが何年かけて建てたのだろうと、考えても仕方のないことに思わず頭を悩ませてしまう。
「開いてねぇのかコラ」
いつまで経ってもドアノックひとつしようとしない俺を不思議そうに見ていたコロネロが俺の背後から平手を突き出してドアをぐいと押した。ぶ厚い木製の扉はギギギィと物々しい音を立ててながら、でも音のわりには意外とあっけなく弧を描くようにスライドする。
「わっ、」
「なんだ。開くじゃねぇか」
身幅一つ開けたところでコロネロは中に入るように俺を顎でうながした。


そろそろ雪のちらつきそうな外よりもぐっと暖かな空気に体をやさしく撫でられて、さらに一歩館の中に踏み入れると寒さと緊張でこわばっていた体から余計な力がとれていくのを感じた。
「わぁ…!」
目を開けばそこは母さんのお伽話に出てくるような目映い光景がひろがっていた。

植物を曲線文様に仕立てた壁紙はしっとりした色合いで統一されていて、結構古い屋敷だと聞いていたけどそんな風に見えないほど染みひとつ無く綺麗だった。四角く形を揃えた黒とグレーの天然石は交互に埋め込まれて床のうえで淡く光り、深くて朱色の絨毯は一直線にのびたつきあたりの大きな階段を波打ちながら駆け上がるように敷きつめられている。
大きな階段の踊り場には聳え立つような肖像画があって、鈍くひかる金色で縁取られた大きな額に填め込まれていた。むかしの肖像画なのに顎にはひげも蓄えていない人だったのですごく若く見える。はっきりとした表情は分からないけれど、少し厳しい顔つきをしていて、黒髪黒目で、きりっとした立ち姿で真っ黒な正装に身を包んでいた。

その威圧感のある肖像画の前方には付き従うように真っ黒い鉄製の動物像が四体どっしりと座っていた。
階段の最上部と最下部に二体ずつ置かれていた像は、どれにも大きな翼が生えていて、鳥なのかと思って首から下を見れば体がライオンの姿をとっているのに思わずギョッとしてしまう。
それでも俺は近寄りつつ物珍しさに直接触ってみたかったけれど、4体のうち一番近くにあった像はするどいかぎ爪を前に突き出して威嚇する姿だったので気弱な俺は気が引けてしまい伸ばした腕を引っ込めた。
「ツナお前、ちょろちょろ動き回ってネズミみたいだぜコラ」
「だって、こんなの見たことないよ!」
軽くたしなめてくるコロネロのほうを振り返っても頬は上気したままだった。大人しくしているしかなかった俺の中の子供っぽい感覚がありったけ刺激されてしまったので今すぐにでも館じゅう探検したいという衝動はなかなか収まりそうにない。
「…確かにツナはこういうモンを見る機会は無かったな」
視線を上へそらして感慨深げにうなるコロネロにつられて俺も天井を見上げた。
「………っ!」
俺の全身を覆い尽くしたのはステンドグラスの海だった。
終わりかけているといってもまだ季節は冬だ。太陽も弱々しいけどその太陽光をしても十分なほどその色ガラスはまばゆい光彩を放っていた。小さなものも大きなものも皆とびきり高価な宝石みたいに輝いている。
そのなかでひときわ細かく一番沢山の色を使って円形をかたどっているステンドグラスの真ん中には俺が五人居たって囲めないほど沢山の白い透明なガラス細工が縒(よ)り集まって大きな造形を作っていた。
白色一色に見えるのにその存在感は圧倒的だ。ステンドグラスから差し込んだごく小さな光でさえ余すところなく取りこんでいるので全体が輝いてまるで光の渦のようだった。
「あれ…なんだろう?」
俺は指さしてコロネロにたずねた。
「シャンデリア」
コロネロはそっけなく答える。
「シャンデリア………へぇー!これがそうなんだ…!」
俺は何だって叶えられる魔法の言葉をもらったみたいにウキウキしてコロネロの言葉を繰り返した。
「…シャンデリア!これが母さんのお伽話に出てきたシャンデリアかぁ!」
あまりに俺が「シャンデリア!」を繰り返すものだから辛抱ならなくなったようでコロネロは堪(こら)えきれずに吹き出した。でも見ることのできた感動の方が勝っていた俺はここ数年で一番面白いものを見たような目をむけてくるコロネロにもかまわず見上げつづけた。
色んな角度から飽きずに眺めて一番迫ってくるような臨場感を味わえる位置に足を止めたその時だった。
「わっ!」
一瞬で目がくらむ程の光が目のなかにバッと雪崩れ込んでくる感覚に驚いて目蓋をしばたたいた。
チカチカした目をこすってもう一度天井を見つめれば白いガラスの集合体は小さな太陽の結晶みたいになって俺とコロネロを照らしていた。そのときようやく俺は「シャンデリア」が照明の役割を担っていることを知った。
明かりがついたシャンデリアはついていない時に比べてまったく存在感が違っている。
今にも呑み込まれてしまいそうだ。
知らず知らずに真下に来ていた俺はシャンデリアが落ちてきやしないかと急に不安になって慌ててそこから飛び退いた。

「──変わった子ね。あなた」
凛とした女の人の声が聞こえて、俺はそっちへ向いた。
館の奥へと続く開け放しの扉に身を凭せながら、明るい長く髪を腰まで伸ばした女の人は俺のことを見ていた。
かかとの高いブーツを履いていない時でもきっと俺より背の高いその人はものすごい美人だった。
「え…えと…」
「少し暗いから明かりをつけてもらったの。貴方達もヴェルデ博士の研究で来たのかしら」
「そうだが、アンタは?」
「ビアンキ。ここに居る間だけだけど、よろしくね。貴方達は?」
「コロネロだ」
「そこで一人で踊っていたあなたは?」
さっきまでの浮かれ様を改まった真顔で形容されると俺はようやく恥ずかしくなる。
「え、えと…ツナって言います。……ビアンキさん、すごい荷物ですね…」
すごく大きくて革張りの高そうなスーツケースを両脇に置いているビアンキさんは、にこりと微笑んで俺を手招いた。
なんだろうと思ってそばに寄れば途端にその内のバッグをひとつ手渡される。片手には自分のかばん、もう片手にはビアンキさんのスーツケースを握りしめる格好になった俺はバランスをくずして前のめりによろけた。
「わわっ。」
「私はこうして荷物を持ってもらって仲良くなるの。よろしくね、ツナ。管理人が私たちの使う部屋まで案内するそうよ。ついてきて」
スタスタ歩いていってしまうビアンキさんの背中を呆気にとられて見送っているとコロネロが俺のくたびれた荷物かばんをひょいと取りあげた。
「お前の荷物は持ってやるよ。しばらく一緒に住むんだ、ソイツ持っていきながら付き合いに慣れておけコラ。…しかしすげぇ女だな」
「う…うん。ありがとうコロネロ」
お礼を言ってスーツケースを両手で持ち直しながら、ずいぶん先を歩いているビアンキさんの方に走った。



          * * *



ヴェルデ博士はまだこの館に到着していなかった。
管理人さんの話がひととおり済むと、「ヴェルデってヤツの顔を見るまで待合室で待つ」というコロネロをおいて俺はビアンキさんと空いた時間で館の中を見て回ることにした。
一人一人にあてがわれた寝室はどう使えばいいのか分からないほど広くて、住んでいたアパートのリビング面積がすっぽり埋まるほど大きくてふかふかなベッドが真ん中に置かれていた。
そんな寝室でさえ『普通の寝室』と思わせる広さを持っているのがこの館なのだ。
俺は白昼夢に迷い込んだ風に目を白黒させるしかなかった。
都会に住んでいるというビアンキさんもこの館の豪華さに少し驚いたみたいだった。
「どこも綺麗ね」
特に俺が目を奪われたのは──水を張った通路に本の形をした石づくりの足場を点々と置いた廊下。
長い槍をお互い向かい合って交差させている全身鎧が何体も続いて長いアーチをつくっている道。
少し重たい扉を開け放したとたん中の円形床がくるくると回転してオルゴールの綺麗なメロディが部屋を満たす全面鏡貼りの部屋。
ビアンキさんは特に鏡の部屋を気に入ったみたいだった。
かなりの数を見て回ったけど、まだまだ部屋は沢山あった。
続きはこれから先にとっておくことにして俺とビアンキさんは博士が到着したかもしれない待合室に向かう。
長い廊下を二人で歩いているとビアンキさんが思い出したように言った。

「ツナはコロネロとは長いの?」
「あ、はい。今日は車でここまで半日も運転してもらっちゃって…」
「距離じゃないわ。つき合っている時間のことよ。」
「付き合いですか?…えと、コロネロとは物心ついたときからの幼なじみなので時間にしたら十五年以上…です多分」
「ずいぶん長いのね」
「ええ、まあ…」
「それなのにまだ幼なじみ?」
「はい」
「それだけ?」
「え、ええ……」
それ以上何があるんだろうと俺は不思議に思いながら返事をした。
「ふぅん…」
「…でも、コロネロはずっと仕事で町を離れていたので。…頻繁に会えていたのは子供のときだけだったんですよ」
「子供のときだけ?」
「ええ。お互い大きくなってから会った時間は合わせても一週間ないくらいです。」
「そんなに長く帰ってこられないなんて、…長期のセールス……の雰囲気ではなかったわね。何の仕事をしているの?」
俺は言ってもいいものか少し迷ったけれど、ビアンキさんの目の迫力に負けて口を滑らせてしまった。
「少し前まで軍隊に居たんです」
「………なるほどね。」
とたんに納得がいったようにビアンキさんは頷いた。
「良く言えば『いい人』ね」
「ええ本当に…勿体ないくらい良い人なんです」
心からそう賛同すると何故かビアンキさんはすごく珍しいものを見たような目つきで俺を見た。一日に二度もこの目を向けられるとは思わなかった俺はちょっと居心地の悪さを感じてしまう。
「ツナをはじめて見た時から思っていたけど──」
「…?」
「──あなた初心(うぶ)ね。どんな色にも染められそう。」
「ッ!?」
どういう意味か正確には分からないけれど凄いことを言われてしまった気がして赤面する。
「え、ええと……」
お礼を言うべきなのか、どう言葉を返せばいいのか困っているとビアンキさんが手を差しだした。
「向こうから来るのを待っていたら何年かかるか分からないわ。ツナから積極的になるべきよ」
そう言って渡されたのは薄く透明な四角いビニルに包まれた弾力のあるものだ。その中には柔らかい輪っかみたいなものが密閉された状態で入っている。
「あの…ビアンキさん、これ何に使うんですか?」
ビアンキさんは意味深に微笑むだけでそれには答えてくれなかった。
「自分をあげてもいいくらい大事な人と二人きりになれたら渡すと良いわ」
「は…はあ…」
何かのおまじないみたいな物かなと思って、俺はそれを自分のポケットにしまう。
「──でも、コロネロはあなたのこと本当に大事なのね」
「え?」
「エントランスホールでツナを見ていた時の彼の目を見れば分かるもの」
「あ、それは多分俺のことを弟みたいに思ってくれてるからだと思います」
「…弟?」
俺の返事になぜかビアンキさんは驚いたみたいだった。
「どうかしたんですか?」
俺の顔を眇めるように見ていたかと思えばビアンキさんはちょっと大げさに天を仰いで目をつむると、綺麗に塗られたマニキュアの爪が印象的な指先で軽く目頭をおさえた。
「いえ、…ね。少し自分がおかしくて。」
「?」
「ごめんなさいねツナ。私あなたのこと女の子だと思っていたの」
「えっ!?」
「けれどもしあなた達が恋人同士だったとしても私は愛に差別しないから安心して。愛に罪はないもの」
「…あ、あのぅ…ビアンキさん?──」
とんでもない誤解をされていたことにようやく気がついた俺はあわてて否定しようとするけれど途端に後ろから肩をぐいと掴まれた。コロネロだった。
「遅せーぞコラ。どこほっつき歩いてたんだ」
「あら」
「わっ!!」
異様なほど取り乱した俺をコロネロは訝しむ。
「何焦ってるんだツナ」
「こっちの話よ。外野は黙ってなさい」
「んだとコラ……──まあいい。博士が来たぜ」
「呼びに来てくれたんだね!ありがとうコロネロ」
「ああ。」
「私は先に行くわね。ツナ」
「あ、うん。」
取り繕うような笑顔を作った俺の横顔を見ながらコロネロはしかめ面でビアンキさんを見送った。
「一体なに話してたんだ?」
「さ、さあ…俺にもよく分かんない…」
俺は耳を赤くしながら言葉を濁すしかなかった。