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───リボーンは片腕をポケットに突っ込んだまま、カシャンカシャンと小気味のいい音をさせて小銭を自販機に入れてゆく。
たったそれだけの動作なのに、こいつがやると自販機で飲み物を買うことさえも、高級ホテルのドアマンにチップをくれてやっている場面みたいに錯覚してしまう。リボーンの仕草はどれをとっても…いや、リボーンがそこに居るだけで彼を内包している空間はたちまち景観へと昇華してゆく。それが『リボーン』なんだろうと俺はわりきっているつもりだけど、常々やっぱり不思議でならない。ここまで圧倒的なチカラを持った奴がいていいものなのかと自然の理法を疑いすらする。
自販機にボゥンとにぶいモーターが入って、チカチカともツーンともいえるこの機械独特のざわめきがした。そうなってもなお、人工的でさすような照明はリボーンの引き締まった顔に影を落とし、彼をまるで石膏像か彫刻かはたまたそれに似た類の、人でない洗練された何か別のものに形容させる。

ガシャン

リボーンが飲むブラックコーヒーが受け取り口に落ちた。それともうひとつ…
「お前はこれでいいだろ」
そう言って俺に投げたのは、カフェモカ。小ぶりなくせに飲み口がやたらでかくて缶っぽくないけれど、白いビニルのしっとりしたぬくもりが温かかった。美術の教科書で見たことがある綺麗な女の人の絵が入っていた。リボーンが持っている黒艶のあるメタリックな缶にも女性の顔の絵が入っている。絵の雰囲気からして同じ画家で…名前まで思い出せないけれど、確かフランスの画家だったとおもう。
「あ、うんサンキュ」
コーラとかサイダーだとか特に聞き慣れている名前の飲み物じゃなかったけど、飲めない味じゃないと思ったから俺はそのまま受け取った。座って飲もうかと濡れていないところを探したけど、小雨はまんべんなく並盛町に影を落としていったみたいで乾いているところはどこにもなかった。
「めんどくせぇ」
俺の家の洗濯機では絶対に洗えない(母さんだって洗い方を知らないはずだ)普通じゃない維持方術が必要そうなスーツを着こなしたまま、今いる車線の反対側にある雨でしめった一段上の歩道にリボーンはあっさりとあぐらをかいた。
「なぁ、俺はいいけどお前のスーツ…濡れるぞ?」
「ツナが気にすることじゃねえ、構うな」
腰をふたたび上げることなく、言うが早いかリボーンは缶のツメにひとさし指をかけて片手だけでラクに開けてしまった。(もう知るもんか)
俺も隣に腰を下ろす。歩道のブロックがひんやりとして、手をついただけで指先がじわりと冷たかった。ふたりで自販機の明かりをぼんやりと見つめながらいつしか視線の先は真っ暗な夜空に移っていた。
「飲まねーのか?」
リボーンがブラックコーヒーをすすりながら言った。
「あ、いや、ちょっとぼーっとしてて…今開けようと思ってたとこ」
いちいち言い訳がましく口を開いてしまう自分を自嘲しながら、こげ茶のフタを横にひねった。ブシッと小気味のいい音のあとにふわっといい香りが俺を包み込む。缶とは思えない柔らかい飲みくちに口を付けて少し飲んだ。モカのよしあしなんて分からないけど、そのカフェモカは確かにおいしかった。甘くて後味が少しにがくて、熱いから少しずつしか飲めなかったけれど、そのぶん口からのどへ、体の芯から少しずつ温まってきてほんのりと気持ちがよかった。…でも、そううわべで思いはしても、リボーンが何も話さないで、俺の隣に腰を下ろしているだけの時間が長ければ長くなるほど───


───俺にはリボーンの真意がわからなくなった。



普通だったら、リボーンは誓ってもこんなコトはしなかった。言いたいことをコトの始めに言い投げるのがリボーンの常套手段なんだ。だから、最初から何も話さないコトなんて今まで無かった───。

空はうっすらと曇っていた。地上の近くをおよぐ細々した雲の合間で、オリオン座を創っている星のひとつがぽつりと見えた。俺は“何の気なし”にリボーンに話を振った。
「イタリアのほうが星はよく見えるのか?」
「見えるときもあれば見えないときもある」
…もっともな意見だ。そうじゃなくて、と俺は話題を探してひとりで躍起になった。闇にまぎれて静かに時間が流れてゆくなか何でそんなに焦っているのか、自分でもよくわからない。
「俺もそろそろ高校卒業だし、俺の将来どうなっちゃうんだろうなァ〜」
その時俺の声はうわずっていたと思う。…いや、俺自身がそう感じて「失敗した」と思ったくらいだから、俺の声が寒さからでなく異様に震えたのをリボーンが分からなかったハズがない。俺は頭を振ってからまぶたを深く閉ざした。言われる…今度こそ言われてしまう…。
リボーンは至極ハッキリ言いきった。

「どう転ぶか分からねぇ『先』に怯えて尻込みするのは救いようがねぇ馬鹿野郎のすることだ」

「………」
俺は目を開いて夜空を仰いだ。気を紛らわしたくて…曇って見えない星を見てみたくて仕方がなかった。
…俺はまた何も言えなかった。(こいつの言うことは全部真っ当で、あとから振り返って考えてみても本当に正しいんだ。口先の抵抗なんかもう言える訳がないんだ…)だから今度は…今度からはもう耳を塞ぐことにしよう。手で塞がないでも、極力頭の中にリボーンの言葉を入れないように努めようと思った。リボーンが俺に向かって何か言うときはかならず、そうしよう。また『そういうコト』についてリボーンが訓辞を垂れるのかと思ったから。…もうたくさんだったから───
俺の顔がこわばったのをリボーンは黙ってただじっと見つめていた。同じ目線で、同じところに座りながら。頬と目元が赤らんできた俺の顔と、俺が必死にそむけている目を追うこともせずに、俺のそのままを見ていた。そして、ふっと口を開いた。

「あまり悩むな。ツナは『今』を大事にすればいい。『先』はツナが知るときになったらオレがいつでも教えてやる」

肩に乗せたレオンの狭い額を指でうっすら撫でてリボーンは夜空のとおくを見つめながらそう言った。
俺はリボーンの方を見るまいと同じくとおくを見つめていた。けど、その言葉を聞いて、感じて、ひとことひとことが頭の中にしみわたると急に、ふさいで鈍っていた頭が一気に覚醒した。危うく聞き逃すところだった。「へっ!?」というバカ丸出しのぬけた声と一緒に左隣を振り向く。俺がいきなり振り向くので気怠げなレオンはすこし驚いたみたいだ。口をぱっくり開けてちらりとピンク色の舌を見せた。リボーンはまったく変わりない。
「………リボーン今お前…俺のことなぐさめた?」
「今は『家庭教師』じゃねぇからな」
「そ……そっか…今は家庭教師じゃないんだったな…」
…………でも、そう思ってもなぜか割り切れず、浮ついたようになってなんだか気持ちが高揚した。カフェモカを飲むのははじめてだけど、この飲み物のあたたかさだけじゃこんなじんわりした気分にはならないはずだ(飲んだだけでこの気分を味わえるのなら、このカフェモカは今頃バカ売れで入手困難だろうし)何でだろう、気がつけばあんなに途方もなく恐ろしかったリボーンとふたりだけ(レオンもいるけど)なのに………この気分は全然悪くない。
「お前…いいところあるんだな」
「てめーがいつまで経っても視野を広くしないからだ。オレはお前を潰すために来てるんじゃねぇ」
その言葉を今度は正面から受け止めた俺は泣きそうになった。
(…そうだ、ちゃんとした『そういうコト』があったじゃないか。リボーンが俺を外に誘った理由が───)
「うん…うん…分かってるんだ…分かってたはずだったんだ…………お前が俺の近くに居るときは、ちゃんと俺のことを考えてくれているんだって………いつだって“分かってたはず”なんだ……」
もうそれ以上は…何も言えなかった。何かを俺はリボーンに向けて言いたいのに、出したい言葉がばらばらで、嗚咽も邪魔して全然組みあがって出てこない。それは歯がゆいことだったけど、あふれ出す気持ちの前では気にならない。俺って乗せられやすい奴だよな…と頭の唯一理性的な部分で思ってみるけど、それ以外ではこみ上げてくる感情を表に出さないようにするのでいっぱいいっぱいだった。ただ───嬉しくてたまらなかった。


「ダメツナ。ちったー強くなりやがれ」
放り投げたようでもしっかり気持ちが入っていた。それが、そのやりとりで最後の言葉だった。