counter

サイドボードへ置いていたバスローブを肩へかけて起き上がり、ベッドから身をおろそうとつま先を絨毯につけたとたん体に激痛が走った。
「アッ…ッ」
女の子みたいな声が出てそのままぺたんと絨毯の上に座ってしまった。
足にまったく力が入らなかった。
腕の力だけでは上半身を支えることしかできない。けれどそれ以上は、いきんだだけで足の付け根とその少し上がささくれた木と木が骨の代わりにこすれ合っているような、鈍い痛みが体をかけぬけた。
からだ全体がすごくだるかった。こんなに疲労感を感じることなど今までなかったはずなのに。
次第に上半身をささえているのも辛くなってきて、俺は背をベッドの側面におしつけて、へりに頭を凭せ掛けた。
どのくらいそうしていたのか分からない。
キィ。と音がして、でもベッドを挟んだむこう側など見られるはずもなくて、俺は、誰。とだけ返事をした。
「オレだ」
短い返事。
ねぇ顔を見せて。お願いだから。
「──体、冷たくなってるぞ」
どれだけそこに居たんだ。バカ。
のろのろと見上げれば後ろ身頃が幅広な彼の上着をかけられた。
黒い。ああ、安心する。この黒が欲しかった。
両腕でかき抱くように彼のスーツを閉じこめてしまうと、妬けるから止めろと揶揄される。
「怖かった…」
「あ、なにがだ?」
「…ううん…なんでもない…」
お前さえ居てくれれば。全部忘れてしまえるから。
立てないでいることに気がついたのか、リボーンは何も言わずに俺を横抱きにしてベッドの上へもどしてくれた。
「あまり動きまわるな。ツナ」
「…ありがとう」
用を為した彼の腕が離れていくことが、とても名残惜しかった。
意味なんていらないから、もっと触れていて欲しいと思う。
自分の熱なんてわからないままでいい。リボーンの熱だけ感じることができれば生きていけると思った。
「…随分誘ってくるじゃねーか」
オレが死んだ夢でも見たか?
そうからかってくる彼の言葉が、普通なら軽くあしらってしまえるはずなのに、今日はまるで自分が何もできない雛鳥になったみたいに感傷的になっていて、言葉をかえすことすら出来なかった。
様子がおかしいことに気がついたリボーンはしばらく無言で俺を見ていた。そして包み込まれるようにベッドへ体をうずめている俺の露出した鎖骨、肩、額やノドに啄むようなキスをふらせた。
「悪かった。しばらく眠ってろ」
まなじりにもらった最後のキスはひときわ甘いにおいがした。





まる三日様子をみても俺の体がなかなか快方にむかわないことに焦りを感じた上層部の提案でシャマルの診察をうけることになった。
「おまえさんたちには呆れてモノが言えんね」
こうなる状態のまえのいきさつを洗いざらい話しておくことは必然だったが、十四の頃から俺のことを知っているシャマルは片方の眉を器用につりあげながら、辟易したようすで聴診器を耳にかける。
「ごめん…手間掛けさせちゃって…」
「ハイハイ。」
ゆっくりとした調子なら何とか歩けるようになったがまだ下半身がにぶって、直腸のあたりに熱い鏝をあてられたような酷い痛みがたまに起こる。シャマルに診てもらうまでの数日、この痛みは薬で散らしていた。
リボーンは居ない。短期の仕事で戻ってくるのは今日から三日後だった。
服をたくしあげてベッドに横になった俺の傍らでシャマルがいつもの眠そうな顔をして冷たい聴診器を胸から腹へ順繰りにおしつける。
だが、ピタリとへその下辺りでシャマルの手がとまってしまった。どうしたんだろう。気恥ずかしさから余所をそれとなく眺めていた目を戻し、彼を見た。
「シャマル?」
もう付き合いは長いはずなのにいままで見たことのない真剣な顔つきをしていた。
「何か…あった?」
急に我に返ったように目を瞬いたシャマルは、言葉を濁した。
「あ、ああ…悪ぃ。昨日の酒がまだ残ってんだ」
フラついちまった。そう言って眠気を覚ます時みたいに両手で頬をパンと叩いた。
「そっか…」
けれど、シャマルの目はいつもとろんとしてるけれど酒に酔っている様子じゃなかった。それを指摘するのも憚られるくらい、すごく胸がざわついた。
診察が続く。体をひっくりかえされて、背骨と骨盤を触診して、また腹の具合を探られた。いつもの淡白な診方と全然違った丹念な調べ方で面食らってしまった。
「坊主、体がおかしくなったのは本当に三日前か?」
「え…うん。そうだけど…」
「…リボーンが帰ってくるのは何日後だ?」
「ええと…三日後には帰ってくると思う」
「あいつはお前みたいに様子がおかしかったりしたか?」
「ううん。」
「そうか」
そこで、妙なことを訊かれた。
「お前、──男だよな?」
「…え?」
「いや。馬鹿なこと聞いたと俺も思ってるんだが。…そんな目で見るんじゃねぇよ」
「…………真面目に聞いてる?」
「……ああ。」
「…シャマル、医者だよな」
「………………お前さんの腹にな」
「俺の腹がどうかしたの」
「…………。」
そこでふっつりと会話の糸が途切れた。
急に押し黙ってしまったシャマルの顔が険しいことに怖くなって思わず彼の白衣の裾を掴んだ。
「ねえ、勿体ぶらないでよ…」
「……」
「シャマル、怖いから早く言って」
心臓が不気味なほど早く動いている。
「ねえってば…!」
俺にひどく服をゆさぶられて、シャマルは低く唸ったあと口を重く開いた。
「誤診だと思う…が」
前置きをして続けられた言葉に俺は眩暈がした。

「──何か居るぞ。動いてる」





「ツナ。開けるぞ」
執務室つづきの扉が開かれて、久しぶりの明かりを見た。
シャマルに診てもらってから俺はまるで落ち着きを失ってしまって、ベッドつきのこの部屋に閉じこもっていた。明かりも、食事も摂らずに水だけでもうどのくらい時間が過ぎたのか分からなかった。
「…リボー…ン…」
おかえり。それだけの言葉を声にするのも辛かった。
「…やつれたな。何か飲むか?」
「ううん…いらない。飲みたくないんだ…」
だけどあいつはそんな俺の事を無視して円卓の上にあった水差しを傾けてグラスに水を注いで俺の手に持たせる。
それを飲むしかなくなった俺はのろのろとした動作で一杯をゆっくり全部飲み干した。
(ああ…飲んじゃったな…)
何もとらないで、何も飲まなければ中のものが死んでくれるかもしれなかったのに。
「──傍に居てやればよかったな」
リボーンは言った。ベッドの真ん中に腰掛けて俺の髪を梳いてくる。その温かな手にすごく安らいだ。
「ううん。…こうして様子を見に来てくれただけで嬉しいから大丈夫だよ」
忙しくさせているのは俺なんだ。そう言って心配させまいと笑ってみせた。
だが、次の瞬間俺の顔は凍りついてしまった。
「シャマルに話は聞いた」
ああ、心の準備くらいさせてくれてもいいのに。
どうしてもう少し今のままで居させてくれないの。
俺は下唇をつよく噛んだ。そして、不安をそのまま伝えた。
ひとりで抱えるにはもう限界だったのかもしれない。
「ねえ…リボーン…なんだろう…俺の中になにがあるの?」
「ツナ…」
「怖い…怖いよ…」
寒い部屋じゃないのに、体がぶるぶる震えて仕方なかった。
そんな俺をリボーンは何も言わないまま抱きしめる。
耳許でささやかれる。
モウ、ヒトリニサセナイ。と。
(ああ…)
俺は子どもみたいに泣きじゃくった。
自分を供するように彼を褥に受け容れた。
そして、目の前の彼にばかり目を向けて、一番大事な何かを見落とした。
それに気がついたのは全てが決着する時だった。





シャマルの診察は日を追うごとに長いものになっていった。
だが、俺の腹の中にあるものが何なのか、まだ判明しないようだった。
「このやり方もダメか…あークソッ!」
椅子に座ってがしがしと頭をかきむしる。長衣一枚纏っただけの格好で後ろから様子をみていた俺は、シャマルの目の前にあるいくつものレントゲンを眺めた。
全身を撮っているが殆どは腹部にのみ集中している。
その腹部のレントゲン写真、丁度へそのしたの辺りに手のひら大くらいの楕円をした白い影があった。
(白…か…)
いやな色だな。…他人事のようにそう思った。
「何で横から撮ったモンには写りやしねーんだ…」
なのに俺の腹ははじめて診察を受けたときよりも二センチほど膨らみを帯びていて、何かあつみのある、胎動するものが育まれていることは確かだった。
「…済まねぇ。今日も収穫はナシになっちまいそうだ」
「うん…わかった。ありがとう。ごめんね、」
部屋を出る。
扉の横ではリボーンが待っていた。
イヤホンで音楽を聴いている。
めずらしい事だったけれど、俺を見るなり直ぐに取り外して言葉をかけてくれた。
「どうだ」
「…まだ時間がかかるみたい」
「そうか。」
リボーンはあれから本当に俺につきっきりで、片時も傍をはなれようとしなかった。
それが凄く嬉しかった。
独り占めにできていることに幸福感を覚えた。
迷惑を掛けている、という自責の念に囚われることはなかった。
…前はこうじゃなかった気がするのに。
だんだん、俺はおかしくなっているんだろうか。